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福岡高等裁判所 昭和59年(行コ)4号 判決 1990年7月18日

控訴人 熊本西税務署長 田上弘

右指定代理人 中尾巧 外一〇名

被控訴人 破産者内村健一 訴訟承継人破産管財人 下光軍二

同 同(兼右下光訴訟代理人弁護士) 稲村五男

右当審被控訴人補助参加人 平松重雄

右訴訟代理人弁護士 丸山英敏

同 横田保典

右当審被控訴人補助参加人 椹木君江 外五名

右補助参加人椹木以下六名(以下「参加人椹ら」という。)訴訟代理人弁護士 高田良爾

同 北條雅英

同 尾藤廣喜

同 安保嘉博

同 折田泰宏

右高田訴訟復代理人弁護士 安彦和子

同 久保和彦

同 美奈川成章

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一申立

(控訴の趣旨)

一  原判決を取消す。

二  被控訴人両名(以下、両名を「被控訴人」という。)の請求を棄却する。

三  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

(控訴の趣旨に対する被控訴人の答弁)

主文同旨

第二当事者の主張

(請求の原因)

一  控訴人は破産者内村健一(以下「内村」という。)に対し、同人の昭和四七年分の所得税につき、同年五月二〇日に成立した人格なき社団である天下一家の会・第一相互経済研究所(以下「本会」という。)に対して、その基本財産目録に掲げられた別紙二の資産(以下「本件資産」という。)を贈与し、内村がこの贈与により譲渡所得を得たなどとして、昭和五一年三月一一日付をもって、課税標準額七八七一万一〇四九円、税額四七八九万一三〇〇円との所得税の更正(更正額及び決定額は別表1の同額等欄記載のとおりである。以下「本件更正」という。)をした。

内村は、本件更正につき熊本国税局長に対し異議申立をしたが、同局長は決定をしないまま三か月を経過し、審査請求できる旨を教示したので、内村は同年八月一八日に国税不服審判所長に審査請求をしたが、三か月を経過しても裁決がされなかった。

二  本件更正には次のとおりの違法事由がある。

内村は、昭和四二年三月頃から無限連鎖講(一定金額の金銭を支出する加入者が無限に増加するものであるとして、先に加入した者が先順位者、以下、これに連鎖して段階的に二以上の倍率をもって増加する後続の加入者がそれぞれの段階に応じた後順位者となり、順次先順位者が後順位者の支出する金銭から自己の支出した額を上回る額の金銭を受領することを内容とする金銭配当組織。以下「鼠講」という。)を組織しているが、同四五年頃までは第一相互経済研究所(以下「第一相研」という。)同四六年頃からは本会の名称を用い、これらはすべて自己と同体異名だと称していた。

内村は、昭和四七年五月二〇日、本会の設立総会(以下「本件総会」という。)を開催し、同総会での定款案が審議、承認されており、一応社団としての外形を整えたが、その実体は、依然内村個人と目すべきものである。

このように、同日以降においても、本会の実体は内村個人と同一視されるべきもので、その社団性は否定されるべきものであるから、本件資産の譲渡があったとみることはできず、本件更正はこの点の事実を誤認したものである。

三  内村は、昭和五五年二月二〇日午後二時破産宣告を受け、被控訴人はその破産管財人である。

(請求の原因に対する控訴人の答弁)

一  同一、三の事実は認める。

二  同二は、内村が昭和四七年五月一九日まで鼠講を主宰し、その際に第一相研或いは本会の名称を用いていたこと、同月二〇日に本件総会が開かれて定款案が審議、承認されたことは認め、その余は争う。

(控訴人の主張)

一  本件更正に至る経緯

1 内村は、昭和四二年三月頃に鼠講を開始して以来、第一相研の名称をもって、順次「親しき友の会」、「第一相互経済協力会」(以下「第一相互協力会」という。)、「交通安全マイハウス友の会」(以下「交通安全等友の会」という。)及び「中小企業相互経済協力会」(以下「中小企業協力会」という。)なる鼠講等を次々に開設してこれら及び関連する事業を運営し、組織の拡大化に伴い、個人の事業主体から徐々に団体としての組織化を企図し、昭和四五年頃から綱領を作成し、定款草案につき審議を開始するとともに、一部地域に支部を設置するなどして社団化の準備をした。

2 内村は、本会の名称で活動するようになり、更に、昭和四六年八月頃から内村を中心に有力会員らとの間で社団設立の動きが具体化したため、昭和四七年一月二七日に第一回発起人会が、次いで同年五月一一日に第二回の発起人会が開催され、本会の定款案の承認、役員となるべき者の選任、創立のための会員総会の開催期日などが承認され、同月二〇日本件総会が開催され、定款案の承認(承認された定款の内容は別紙一のとおり。)、役員の選任、基本財産の承認、事業予算の承認などの各決議がされ、これにより新たに人格なき社団である本会が発足したものであり(この点の詳細は二以下で後述のとおりである。)、内村の営んでいた右鼠講に係る事業は、以降本会がこれを引き継ぎ、同日以後は同社団の事業となった。

内村は、同日右事業を社団に引き継ぐにあたり、同人所有の本件資産を本会に贈与した。

3 控訴人は、内村から本会への資産贈与に係る譲渡所得につき、所得税法(昭和四八年法律第八号による改正以前のもの。以下に掲記の法令は同譲渡日当時のものをさす。)五九条一項一号の規定に基づき時価に相当する金額によりこれらの資産の譲渡があったものとみなして本件更正をした。

4 右課税の経緯及び課税金額等は別紙四、別表1のとおりである(なお、控訴人は、更正及び決定すべきであった額について、当審において同表の「控訴人主張額」のとおりにその主張を一部改めるので、課税金額は別表1の「差額」欄記載のとおり減額されるべきことになり、事業所得、譲渡された資産とその評価、主張の訂正の詳細等は別紙四、別表2ないし4に記載のとおりである。)。

二  人格なき社団について

1 社会に存在する人的結合体(団体)が人格なき社団として認められるには、それが社会通念上組織的単一体として独立性を有するものでなければならない。そのためには、民法の社団法人に準じ、まずその構成員が存在して一定の根本組織を定め、これによって目的遂行のための意思決定や業務の執行をなし得る実体を備え、自然人と同様に社会的作用ないし活動を営み得るものと認められるものであることを要する。

現実の社会にみられる団体を人格なき社団として認めるということは、法的効果の側面からみれば、社団代表者を通じて社団の名において行う法律行為の実質上の帰属点という法的効果を認めることにほかならない。

2 現実の団体の態様は種々で、団体内部における人的結合の濃淡も多様であるが、このような団体における構成員の複雑性を社団としての単一性にまで高め、人格なき社団と認め得るには、(1) 団体としての組織を備え、(2) 多数決の原則が行われ、(3) 構成員の変更にかかわらず団体が存続し、(4) その組織において代表の方法、総会の運営、財産の管理等団体としての主要な点が確定しているとの四点を充たさねばならないと解されている(最高裁第一小法廷判決昭和三九年一〇月一五日民集一八巻八号一六七一頁)が、右要件の有無を現実の具体的事案にあてはめて判断するには、機械的、一義的にではなく、当該団体の性格、つまり構成員に対する会費等の支出の経済的負担の義務付けの有無や利益分配等の経済的利益の供与が予定されている団体か否か等の視点が必要であるとともに、具体的紛争の内容(社団内部の紛争か、社団の対外関係に関するものか、どのような法的効果の発生が求められているものか等)に応じ、各要件の持つ意味内容を吟味してその適用を考えるべきである。

3 右(1) の「団体としての組織の具備」とは、団体の意思決定、業務執行等の機関が存在し、機能していることをいい、(3) の「構成員の変更にかかわらず、団体が存続すること」とは、構成員の異動に関する定めが確定しており、構成員の変更によっても団体自身が同一性を保ちながら、存続することであって、これらの要件は個人と離れた団体の組織と財産が社会的に実在していると認識させるのに不可欠である。一方、(2) の「多数決の原則による運営」とは、団体内部の意思決定が私的自治のもとに行われることをいうが、人格なき社団の成立要件としては絶対不可欠のものではなく、理念の表現ともいうことができ、(4) の「代表の方法、総会の運営等の確立」は、必要ではあるが、必ずしも書面による成文たる定款が社団成立の上で不可欠というのではなく、(1) (3) が充足されれば、当然に認められるものである。

4 法人税法は、人格なき社団について「法人でない社団又は財団で代表者又は管理人の定めがあるものをいう。」(同法二条八号)とし、その納税義務者については、収益事業から生じた所得に対してのみ法人税を徴するものであり、相続税法も同様に人格なき社団の納税義務を認めている(同法六六条)。これらの法の趣旨は、構成員らとは別個に当該団体がそれ自身において社会生活における主体となって、実際上の事業活動をし、所得や財産の実質的な帰属主体となっているため、その帰属する所得や財産に担税力を認め、これに課税しようとする「租税公平負担の原則」「実質課税の原則」に立脚するものに他ならない。従って、社会の一単位として活動し、その性質、組織、活動状況において法人格を有する社団や財団と異なるところがないとすれば、租税法規がその目的を達するうえで、人格なき社団に租税法律関係の当事者たる地位を認めるのに差し支えがないものである。この観点に立てば、人格なき社団を租税法律関係の当事者たる納税義務者の地位に据えるには、当該団体に団体の構成員の財産から明確に分離された団体固有の財産の存することが必須かつ最重要で、構成員の資格・範囲・権利義務、社団の目的、執行機関の構成・監督手段等は、元来、団体の内部関係に委ねられるべき団体自治の問題であり、形式的、補充的に備わっておれば足りるというべきである。更には、我が国のように申告納税方式を採る税法の下においては、当該団体が自ら人格なき社団と認識してその帰属財産の範囲を明確にし、その旨を構成員に対して公示し、その財産の管理、運営を執行機関に委ね、かつ、人格なき社団の名において納税申告を行い、一方、代表者又はその財産の出捐者においても右財産が代表者又は出捐者個人の財産とは分離された社団財産であると認識している場合には、財産の混交を生じるなどの特段の事情が認められない限り、右団体の人格なき社団性を認めるべきものである。

判例上、いわゆる労音や政党について社団性が認められているのは、右のような課税上の特殊性によるものである。

三  本会の社団性

1 本件総会と定款の成立

本件総会は、事前に発起人会が定めた会員代表の定数(一四〇名)に基づき、支部大会に参集した旧会員の互選で選出された会員代表九四名(委任状分を含む。)及び支部外会員代表三名、本部からの会員一八名がそれぞれ出席して開催されたもので、成立後の定款上の構成員の範囲は後記のとおり明確であるが、右総会出席者及びその選出母体となった支部会員のみをもってしても、人格なき社団の成立を認めるに足る構成員数を満たしている。

右総会で承認の議決がされた定款には、会の名称、目的、会員資格の得喪その他の民法三七条に規定された社団法人が具備すべき定款の記載事項の全てが記載されている。従って、対内的にも本会が構成員とは別個独立の存在となったことは明らかであり、財産的独立性についてみても、その固有財産を分別経理し、かつ、その構成員に対し、会計報告等を通じてこれを公示している。対外的独立性についていえば、社団を代表して業務を執行する機関として、会長、副会長、理事、監事の職を定め、内村が会長となってその業務を執行することになったのであり、更に、本会の意思決定機関としての会員総会が、社団の業務執行の決定機関としての理事会が置かれ、これらの決定機関において社団の重要事項が承認決定されることとなったものである。

以上のとおり、定款が成立し、団体としての組織性があり、代表方法や総会運営、財産管理等が確定しているから、社団性が認められる。

2 本会の構成員

(一) 構成員の資格

定款七条一項は講加入者であることを社団構成員の資格要件とし、本会の目的に賛同する講加入者をもって構成員とする旨を定めたもので、同条二項は講加入の手続を、同条三項は構成員の義務をそれぞれ定めたものと解される。そして会員となった者は八条による資格喪失事由である「死亡」「退会」「除名」に該当する事由のない限り、会員資格を喪失しないと定められているのであって、構成員資格が不明確とはいえない。右条項は、社団の構成員の範囲が講加入者全員に拡大されることを標榜しつつ、必ずしも講加入者と構成員の範囲が一致するものでないことを前提として定められているのであり、社団構成員たる地位を失っても、講会員として後輩会員から贈与金を受領し得る地位は失わないものと考えられ、名義変更(講会員たる地位の譲渡、相続)が行われる場合があることも異とするに足りない。

本件総会以前の講も定款七条一項にいう「相互扶助の組織」にほかならず、定款作成前後の加入者は親会員とその系列化の子孫会員という関係で結合されているから、以前の講加入者も当然に本会の会員となると解するのが相当である。また、個人事業組織の一員であった者を新たに発足した社団の構成員と扱うかは、社団の運営面における内部問題にすぎない。

なお、会員証には、「加入日より一年は保養所の利用は無料」との記載があるが、これは会員資格と関係はなく、単に保養施設の無償利用、交通事故見舞金受給の恩典の期間制限である。また、構成員の唯一の義務である年一回の講加入を怠ったとしても、これにより当然に構成員資格を失うものではない。

(二) 講事業の特殊性等

一人の講会員が複数の講に重複して、または一つの講に数口加入することがあり得るのであるから、講加入口数と会員数とは必ずしも一致せず、更に本会のように講加入数の拡大とともに社団構成員の増加する開放的社団にあっては、まず発起人と趣旨に賛同する者により人格なき社団が創立され、順次その規模を拡大していくこともある。

本会では、構成員は入会する際に支払うべき入会金以外には何らの分担金等の経済的負担はなく、従って、利益配当や残余財産の分配も生じないのであって、社団の性格上、周辺部分で構成員の範囲の具体的特定がある程度希薄となるのはやむを得ないところである。労音や政党等も同様の団体であるが、一様に社団として認められている。

(三) 以上のとおり、構成員の範囲は明らかであり、個々に変更があっても本会の団体性は失われることがない。

ある団体が人格なき社団であるか否かの判定は、人格なき社団の諸要件を総合的に判断してされるべきであるが、その際にいずれを重視し、或いは重視しないかは、当該団体をめぐる紛争形態との相関関係において判断されるべきものであるところ、本会では、会員総会は各支部において選出された会員代表により構成され、総会の決議は会員代表の二分の一以上が出席してその過半数をもって決することとされており、総会決議の要件は構成員総数をもって基準とはされていないし、構成員に対しては、入会する際に負担する入会金以外に分担する経済的負担はなく、これらを勘案すれば、本会の社団性の判定にあたっては、会員の範囲が一義的に明確に確定し得ないとしても障害になり得ないというべきである。

3 本会の業務運営状況

(一) 組織の概要

本会には、前記定款によって、会員総会、理事会、会長、監事という団体としての機関が設置され、会長が会を代表するものと決められ、更に事業組織として講を運営する本部が熊本市に置かれ、会長、副会長二名が常勤したほか、多数の職員が常勤し、その下部組織として県支部が置かれ、更に思想普及員制度や連絡事務所が設けられて会員との連絡等にあたっていた。思想普及員は約一〇〇〇名、支部長支部役員約五〇名、理事等の役員一八名にも達しており、定款七条一項を充足する人の集まりである。

(二) 会員総会について

会員総会は、毎年五月に開催され、昭和四七年五月二〇日を第一回として会計年度毎に昭和五四年四月一一日までの間、一〇回開催(臨時総会三回を含む。)されており、基本財産の承認、理事選出、各会計年度予算案の承認等の定款一八条により付議された議題が審議され、会員総会参加者の多数決により決定されていた(開催された総会の日時、審議事項等は別表5のとおりである。)。総会出席者は各支部で選出された会員代表であり、その代表数は理事会が決めていたが、会員数が膨大に昇ることに照らすと、簡易な方法で支部大会を広告し、会員総会へ参集させるとの方法を採用していたとしても、かえってその方が合理的といえる。多数決による意思決定をどのような方法でするかは、結局団体自治の問題であって、右のような方法は当然許容されるべきものである。

(三) 理事会による運営

本会の一般的な運営、業務執行は理事がすることとなっており、月に一回の割合で理事会が開かれ、講業務事項の審議がされ、実施されていた。理事会は昭和四七年五月一二日以降、昭和五四年七月五日までの間、六四回開催され、予算案や事業計画案、会員総会代表の割当、支部の承認、役員報酬、保養所の購入等が審議された(開催された理事会の日時、付議事項等は別表6のとおりである。)。理事会の議長は各理事の持ち回りで、理事全員の意見を提出して協議され、小委員会を設置して審議し直すという民主的運営が実践され、内村会長の一存で決定されるものではなかった。時には地方の理事も出席して発言し、ことに研修保養所の設置、支部及び連絡事務所の設置は、地方の理事、会員からの発案、要望によるものが多く、本部で調査の上で決定されていた。また、本会に対する法人税課税に係る異議申立についても理事会で決定されたものである。理事会の審議事項は業務全般にわたっており、決議は多数決によりされており、内村が全てを決定し、運営していたとみるのは当を得ない。

(四) 支部活動、研修等

昭和四七年一一月二五日の理事会において支部運営規則が承認された。それまでも各地に有力会員による支部が設置されており、更に連絡事務所が設けられていたが、同規則により承認された支部には本部から給与を受ける支部長及び職員が置かれ、また、支部の下部組織として地区支部や連絡事務所が設置された。それらのいずれの組織をも持たない県は存在しなかった。

支部等は本部から運営費を実費弁償されていた、昭和四八年六月以降は人件費を除き、本部に送金されてくる所轄県及び管理県内の講加入者の入会金の一〇パーセント相当の範囲の予算額で賄うこととされていた。これら県支部は会員間の連絡等をするとともに、県大会を開催するなど会員代表の選出母体となっていた。

講会員の新規加入が停止すると、本部はその財政的基盤を失うことになるので、会員獲得や会員の相互の融和を図るために、思想普及員制度が設けられ、昭和四八年八月から平和道場等において研修会が実施され、その受講数は昭和五一年五月現在で一六二三名の多数にのぼっている。設立当時から、平和道場(阿蘇保養所)のほか、平島、玉名、別府、岐阜、戸倉、妙高及び熱海の各保養所が設置されていたが、その後も各地に新たな保養所が開設され、会員の研修や宿泊等に利用された。

(五) 会員意思の徹底

本件総会において、承認、制定された定款は事前に発起人会で審議され、総会開会通知とともに各支部に通知されていただけでなく、総会後には本会の会報「天下一家ニュース広報」に掲載され、この会報は各支部又は有力会員を通じて講会員に配付されたほか、新規講加入者に二部ずつ配付された。また、昭和四七年五月二〇日以降講に加入した者に対しては、会員証とともに定款のみを別刷にしたパンフレットが郵送され、講会員に周知させる方法がとられていただけでなく、会計年度ごとに出席した会員代表に配付されたほか、各支部、各普及員連絡所及び各地の保養所に配置された。

(六) 財産の管理と経理関係等

前記のとおり、昭和四七年一〇月二八日本部、支部、研修所を対象とする経理規程が制定され、入会金収入は県支部運営費、見舞金制度、本部運営費、保養所購入費や社会福祉寄付等に支出された。

本件総会において、内村の財産であった土地建物は本会の基本財産に繰り入れられ、内村個人の財産から分離して管理されることになり、経理処理も別個に区分されて記帳されている。基本財産の処分は定款一一条により、組入れは同九条により理事会で決議することとされ、そのとおり実践された。内村は、定款一〇条、二五条により会長として管理していたが、個人の自由意思で処分して個人的に消費したことはなかった。

内村は、不動産取引等もその大半を本会会長内村名義でなし、預金の管理も同名義を用いており、それまでの単なる「内村」又は「第一相互経済研究所代表者内村」とは区別してされ、そのほか、公共団体等に対する寄付名義や会員証の発行者名義等も本件総会の前後で区別してされている。

(七) 以上のとおり、本会の団体としての組織性、多数決原則の実践、構成員の変更と団体の存続性及び代表の方法、総会の運営等団体としての主要点の確定、財産管理の状況等を実態に即して考慮すれば、前記社団性肯定のための不可欠の要件である団体としての組織性と財産の管理等、団体としての主要点の確定は十分に充たされ、二次的、補充的な多数決の原則の実践らもされており、本会は、昭和四七年五月二〇日の時点において人格なき社団として成立したということができるものである。

四  信義則違反等

仮に、本会が内村の経済目的達成のための手段として形式的、外形的にのみ設立されたもので、その実質は昭和四七年五月二〇日前後で変化なく、内村が鼠講に係る事業を主宰していたとしても、被控訴人らが、同日以降本件事業の主宰者は内村であると主張することは許されない。

その理由は以下のとおりである。

1 内村は、前記のとおり自らが中心となり、社団を成立させたと認め得るような外観を作り出したほか、控訴人に対し、昭和四七年七月四日付で本会名義の給与支払事務所等の開設届出書を提出するとともに、従来の第一相研内村名義の給与支払事務所等が同年五月一九日付で廃止された旨の届出書を提出し、同年同月二〇日以降の収益について、本会が人格なき社団であるとして法人税確定申告をしている。

2 現行税制は所得税や法人税について申告税方式をとっており、第一次的には、自己が当該事業主体で、納税義務者と認める者が、当該事業に係る所得につき所得税又は法人税の確定申告を行うこととされており、一方、税務署長は、個人事業がいわゆる法人成りしていく過程において、所得税と法人税との二重課税にならないようにし、他方、課税の空白が生じないようにするため、当該事業主体が法人税の課税客体である人格なき社団となった日を特定し、その前後で所得税、法人税の課税を区別しているものである。

未だ、人格なき社団が成立していないと認められるときは、一方で、法人税の確定申告無効、他方で当該事業の帰属主体と認められる個人に対して所得税の増額更正処分又は決定をすることになろうが、これらは矛盾することなく運用されねばならず、被控訴人主張のように、本会が社団ではなく、内村の個人事業というのであれば、内村は個人所得税の累進税率により法人税として納税した税額に倍する所得税額を納税すべきであったことになる。

鼠講事業に係る所得を内村個人の所得として課税できなくなった時点に至って、第一相研は人格なき社団ではなく、内村個人で、鼠講事業の所得は同人の所得と主張することは著しく公平に悖るものである。

3 内村は本件総会以前から人格なき社団と主張していたものであり、内村と控訴人間では、人格なき社団の成立時期については争いがあったが、同総会後の本会の人格なき社団性については争いがなかったところ、内村の破産宣告後に破産管財人が突如として本会の社団性を否定する主張をするに至った。

破産管財人の右主張は、本来宣告前に有していた破産者の主張できる範囲を超えている。

4 右のような経緯からすれば、本会につき人格なき社団という法的形態を利用した内村は、控訴人に対し、本会が人格なき社団ではないという論拠で既に生じた租税法上の責任の回避を主張することは、信義則、権利濫用の法理、禁反言の法理、法人格否認の法理の趣旨に照らし許されず、従って、その破産管財人である被控訴人らも右同様の主張をすることは許されないというべきである。

(控訴人の主張に対する被控訴人及び同補助参加人椹木らの答弁と反論)

一  控訴人の主張一、1は、内村が昭和四二年三月頃に鼠講を開始し、以降、第一相研の名称で「親しき友の会」等の講事業を運営したことは認め、その余は争う。

同2は、内村が本会の名称で活動するようになったこと、昭和四七年五月二〇日に本会の本件総会が開かれ、その主張のとおりの定款が承認、可決されたことは認め、その余は争う。

同3は認める。

同4は、譲渡されたとする資産がその主張のとおりであることは認め、その余は争う。

二  同二は、そのうち2の最高裁判例の判示部分は認め、その余は全て争う。

人格なき社団につき税法上特別の概念があるわけではなく、講学上民法で論じられているのとは別に、税法上独自の意味を持たせることは許されない。法人税は所得税の課税対象とならない法人に課されるのであって、みなし法人として適用を受けるのもその法人としての実体を有するものに限られるべきものである。右最高裁判例の掲げる要件では、定款等の根本規則の存在、社団の目的の定立、構成員と非構成員の区別の明確性等が当然に要求されるものであるのに、控訴人は極めて緩やかな自ら独自の成立要件を定立して主張しているにすぎない。社団と認められれば、権利義務が構成員全員に一個のものとして総有的に帰属することとなり、結果的には権利能力を与えたのと同様の法的効果を与えることになるから、それに足るだけの団体としての組織性、自律性、継続性が要求されるものである。

三  同三は、1、2のうち、昭和四七年五月二〇日に本件総会が開かれ、その際に承認されたとする定款内容が別紙一のとおりであることは認め、その余は争う。

同3は、控訴人主張のような総会や理事会等が開催されていたことは認めるが、社団としての実体があって、事実上機能していたとの部分は否認する。控訴人は本会の社団性につきその形骸だけを見て成立過程や実態を何ら検討していない。これが人格なき社団と認め難いことは、後記のとおりである。

四  同四については、1のうち内村がその主張のような給与支払事務所の届出をしたことは認め、その余は争う。

五  被控訴人らの主張

1 人格なき社団の概念と成立要件

法人税の対象は前記のとおり、法律上の法人を原則としており、みなし法人と言い得るには、組織、運営等において法人と変わらない実体を備えたものでなければならない。その判断基準が控訴人主張の最高裁判決であることはそのとおりであるが、判例の掲げる要件では、定款等の根本規則の存在、社団の目的の定立、構成員と非構成員の区別の明確性等が当然に要求されており、この基準は動かし難いものである。基準を動かすこととなれば、恣意的な見解で場合によってまちまちの結論が出されることになるからであり、この要件は最小限度のものといえる。この三要件は個人と団体の区別、社団に団体としての組織性を与えるための最も重要な要件である。控訴人はこれらの要件を極めて緩く解釈しており、社会的に活動している団体には、社団のみならず組合等もあるのに、これらの区別の基準たり得ない要件を用いている。社団性が認められれば、財産はその団体の総社員に総有的に帰属することになるが、これは人格なき社団自体に権利義務の帰属点たる能力を認めたのと相違はないことになるのであって、組合も包含するようなあいまいな要件をもって社団性を判断するのは相当ではない。社団性が欠ける場合は個人企業として処理することが可能であり、それで何らの不都合はない。

また、課税上の客体となり得るのもその実体を有する団体に限られるのであり、特に税法上からみての特別の人格なき社団がある訳ではなく、判例上も権利義務の実体的帰属体たる能力を有する団体であって初めて社団性が認められている。課税庁は実質課税の原則を掲げて、同原則を実現するに十分な組織力と間接強制に裏付けられた法的調査能力を備えた国家機関であり、善意の第三者に該当するものではなく、取引関係等と同視して対外的問題として処理されるべきものではない。課税関係においては、国民に対して、その権利、利益を制限し、義務を負わせ、新たな負担を命じるような、いわば加害処分についての裁量は、法規裁量であり、客観的な標準により定められるべきものである。

2 内村らの社団設立行為の公序良俗違反

内村が設立しようとしていた本会は定款上、その目的としては「人類としての真理と生命を知り、心、和、救け合いの精神を……以て、相互扶助し、……社会福祉を実現し、……世界平和に貢献することを目的とする。」(第二条)と定めているが、これは実態を仮装、隠蔽し美化するための条項であり、本会という団体組織が鼠講事業組織そのものであることは公知の事実であり、課税庁も十分に認識していたものである。

鼠講はその拡大に伴って多数被害者を発生させ、経済的にとどまらず、精神的肉体的損害にまで及んでおり、自殺未遂既遂者まで発生させるに至ったのであり、昭和五三年にはその被害防止を直接目的として「無限連鎖講の防止に関する法律」が制定され、同法一条も鼠講が社会的に害悪を招き、許されるべきものでないことを明らかにしており、鼠講の違法性は確定されるに至ったのである。判例上も長野地裁判決が鼠講を本来的に公序良俗違反と断じたのを初めとして、その前後の判例もいずれも鼠講事業が違法なものであることを断じており、昭和四六年頃以降鼠講が善良な風俗に反する事業であることについては社会的な法的確信が存在していた。

以上のとおり、内村らの本会の設立行為は公序良俗違反事業を行う行為であって、この面からも社団設立としての法的効果を発生させないものといわねばならない。

3 本件総会と定款の瑕疵

社団の創立総会という以上は、その設立時点で構成員となる全員に対し、その意思を反映する機会が与えられていなくてはならない。しかるに、本件総会は、昭和四二年三月以来の講加入者で、昭和四七年五月一九日以前の加入者には全く通知、公告をすることなく開催されている。全国にいる講加入者のうちの支部もなく、連絡所もない地域の会員に対しても、何らの通知がされていない。また、同総会には、支部単位で開催された県大会で推薦等により選出された会員代表一四〇名中九四名(内委任状提出者五四名)、支部外代表六名(いかなる方式により選出されたか不明)が出席したことになっているが、昭和四七年当時、支部が存在したのは、青森、秋田、山形等七県のみであり、その他の地方の会員は自らの意思を総会に反映させる機会すら与えられなかった。もともと、内村は自己の親しい知人や友人とか、比較的新しい会員に知らせたのみであった。 会員総意の結集のために、通知等もされないままされた本件総会の定款承認の決議は無効であり、定款は効力がないものと評価できるが、本来、定款の有無が問題なのではなく、控訴人主張のような社団性判断のための四要件の内容が実質的に実現され、決定されているか否かが問題のところ、定款の各条項が実践されていないことは後記のとおりである。

4 社団の構成員としての会員資格の不明確性

本会の定款七、八条によれば、講に加入した者全てが会員となり、死亡等の事由のない限り、地位を有するものと思われるが、他方、入会時に交付される会員証には、有効期間一年との記載があり、更に同七条三項では、会員となった者は、年一回以上同一組織に再加入しなければならないと定め、再加入しなかった場合についての規定は存在しないから、一年を過ぎれば会員資格を失うようにも解される。

右八条は会員資格を失う場合として「死亡、退会、除名」を定めているが、会員死亡の場合の取扱いについては幹部も分かっていない。また、退会の申出があれば、会員資格を喪失するはずであるが、退会者は被控訴人らの調査によっても判明しなかった。

5 本会の実体

(一) 会員総会の運営

総会における会員代表の選出方法は一定せず、会員の意思が反映されていない。右選出方法につき定款一五条は、各支部において選出される旨規定するのみであって、具体的な選出方法は定められていない。創立総会後の通常総会も会員に対する通知、公告なしに開催されている。

また、総会のための会員代表の選出方法については、昭和四八年一月二三日の理事会において「対象を昭和四六年六月五日の国税庁の内村に対する査察以後の入会者に限る。県支部のないところは隣接県支部が担当して代表を定める。会員代表総数を一二〇名とする。」旨が決定された。そこで、各講の加入口数をみると、右査察以後の講加入口数は、昭和四七年一二月三一日当時の購入会口数の単に三・九一パーセントに過ぎない。昭和四八年一月末当時の支部は未活動の沖縄支部を除き、一三、会員代表数は一一五名(二府一八県)であり、このうちの県支部の設置されていない県からの会員代表が一一名(七県)存在した。

以上のような手続で選出された会員代表による総会は、およそ会員総意を集約する機関とは言うことはできない。

(二) 多数決の原則の欠如と理事会の状況

定款二〇条は、内村は終身理事であり、会長である旨規定し、他の会員は会長となることも、内村を更迭することもできないほか、同条二項によれば、理事の三分の一は会長が指名して選任することとされ、主要な執行機関の決定につき構成員の関与は排除されている。

理事会とは名のみであり、後記のとおり内村は独断で講事業を行い、単に形式上の事後報告をするのみであった。

(三) 支部の設置、廃止

定款、支部運営規則、支部認可審査に関する規定によると、必要に応じ理事会に付議して支部を設け、その下部組織として地区支部、連絡事務所を置くとされているが、長崎県支部、北海道支部の設置については理事会に付議されていない。右長崎、北海道を含めても県支部は二一を数えるのみで、県支部のない県が全国で半数以上を占めているうえ、支部の中にはその実体がないものもあった。

支部運営規則によれば、「支部の管轄区域は原則として都道府県の行政管轄区域、但し、理事会の決定で支部の設置されていない隣接都道府県の全部もしくは一部を管轄する。」(第四条)とあるが、理事会で県支部のない県の管轄支部を定めたことはなく、また管轄支部は秋田、山形等特定の支部に限られ、その管轄区域も遠隔地にあるなど、会員と支部の連絡は不十分であった。

昭和五四年二月までの間において、支部長の退任に伴い、熊本県(昭和四九年七月)、長野県(昭和五〇年一月)、石川県(昭和五二年七月)、沖縄県(昭和五二年一〇月)、北海道(昭和五三年八月)の各支部が閉鎖されているが、いずれも理事会への付議はされていない。

昭和四七年五月二〇日以前の支部は任意に有力会員が支部と称していたが、その後も会員の増加する地域に設置されており、組織の実体を有するものではなかった。

(四) 他法人名義の濫用

内村は、財団法人肥後厚生会(その後財団法人天下一家の会への名義変更の登記がされたが、これはその後、抹消されている。以下便宜「財団法人天下一家の会」という。)や宗教法人大観宮(以下「大観宮」という。)を設立し、自ら役員となって、これらを意のままに操作した。

昭和五二年九月八日の臨時会員総会において、内村は、不動産、動産、現金、預金等の資産を大観宮へ寄付する旨の意思表明をし、直ちに移転登記手続等をした。その直前の同年八月二二日の理事会では、右寄付の件は同臨時総会の議題にする旨が付議されていないのに、内村において、突如、右寄付案を提案してわずか三分で承認を取り付けたものであった。

右寄付のうち現金は五九億円であったが、内村は、昭和五二年一一月三〇日と同年一二月一二日の二回にわたって、これらの返還を受け、更にこのうちの一六億円を昭和五三年三月三一日に大観宮へ寄付した(この一六億円の寄付については事後に理事会に報告したにすぎない。)。

また、内村が代表である財団法人天下一家の会は、昭和五一年九月に株式会社長谷川工務店から、その所有の東京都千代田区所在のビルを一二億円で購入したが、このビルは当初本会の理事会が購入を決めていたのを、急遽、内村が財団法人天下一家の会名義で買い入れたものである。

右のように、高額な資産がいとも容易に、内村が代表を務める財団法人等との間を行き来しており、これは内村が本会の全財産を自己のものと考え、扱っていたことの証左である。

(五) 経理、財産関係の混同

昭和四七年五月二〇日に人格なき社団が成立したというには、それまでの内村の事業の資産、負債のうちの引継がされたものとそうでないものとの区別がされねばならないのに、財産目録、貸借対照表も作成されておらず、引継関係は明らかでない。昭和四七年一〇月に経理規程が制定されたこととなっているが、同日以降も貸借対照表は作成されず、収支計算書によっても事業成績は不明確であった。

定款九条によると、資産は基本財産と通常財産に分けられ、基本財産は、本件総会で承認されたと称される別紙二の本件資産と理事会で繰入れを決議された甲佐町の旧畜研用地(昭和四七年一一月二五日の理事会)と平和道場に隣接する農地約八五〇坪(昭和四九年五月二一日の理事会)となるはずであるが、昭和四七年五月二一日以降、保養所用土地建物が取得されているのに、右以外は理事会において基本財産の繰入れを決議していない。

本部職員の給与等は全て内村が決めており、また、自らの報酬や賞与も一〇〇〇万円を超えることもあったが、これも内村が自ら決定している。

また、内村に対する昭和四七年所得税更正処分による本税等は、昭和五一年三月、五月に納入され、これは本会から支払われたことになっているが、この納付額は内村に対する貸付でなく、仮払税金として処理されるなど、内村の課税関係の支払の殆どは、同様の方法でされており、租税関係においても本会は内村の別称というべきものである。 保養所等購入についても、内村は、昭和四九年に東京事務所用土地等を、昭和五〇年八月に芦ノ湖特別研修保養所を、昭和五一年一一月に宮崎研修保養所を購入するなどしているが、いずれも独断で購入し、理事会へは事後報告で済ませている。

また、内村の外国旅行や私物購入等も、本会から支出されている。内村は本会の所有となっている相研ビルに居住しているが、その賃料の支払をせず、そこでの電話代等も本会から支出された。

以上のように、内村と本会の経理の区別はされていない。

6 本会の消滅

本会が内村とは別個の人格なき社団であるとすれば、内村の破産により消滅することはないはずであるが、現実には内村の破産、講事業の廃止と同時に消滅している。

鼠講は無限連鎖講の防止に関する法律の成立によって、昭和五四年五月一一日からこれを主宰したり、加入することができなくなり、内村も昭和五四年夏頃から会長名を使用しての活動をしなくなったが、同五五年二月二〇日の破産宣告からは、全く会長名を使用しなくなった。会員総会も昭和五四年四月一一日を最後に開催されず、理事会も同年七月五日を最後に開催されなくなった。

内村の居住する熊本市本山町六三五番地にあった事務所も全職員が解雇され、昭和五四年八月末に閉鎖された。昭和五二年頃、本会の資産は本部所在地の宅地やビルのほか全国各地二二箇所に保養所等の土地建物、国債や預貯金等、時価にして数百億円といわれていたが、昭和五四年三月三一日の決算期には次年度繰越金はわずか二二万円にすぎなかった。

右のとおり、講事業の主宰者は内村個人であったから、本会も消滅したにすぎない。

7 本件更正の取消と信義則違反について

(一) 税法上の信義則違反、禁反言の原則等の適用は本件の場合には考慮の余地がない。

税法上信義則違反が認められるのは、租税法律主義を貫徹すると却って公平に反し、不正義の結果が生じると思われる場合であるが、本件の場合はこれに該当しない。控訴人は、課税関係も第三者との取引等と同様対外的な場面での問題であり、信義則違反等の適用をみる場面であるとして、その特殊性を主張するが、課税庁は問題となっている団体と取引関係に入ろうとする私人などとは異なり、「実質課税の原則」を掲げて十分な組織力と間接強制に裏付けられた調査能力を備えた国家機関であり、問題の団体が個人企業か、組合、社団であるかの区別は、その能力をもってすれば容易に認識できるものであり、善意の第三者に比すべきものではない。

(二) 被控訴人は破産者内村の主張に拘束されない。

鼠講に加入して損害を被った者は、破産財団に対して確定債権を有するに至った破産債権者であるが、債権者は自己の債権保全のために、民法四二三条によりその債務者に属する訴訟その他公法上の権利等一切を行使することができるから、破産宣告前においても債権者代位権を行使して本件訴えを提起し得たものである。そして、破産宣告後は破産財団に属する管理処分はもっぱら破産管財人に委ねられ、破産管財人が破産財団に属する訴訟の当事者適格を取得するに至るのであり、それは破産管財人が破産債権者に代わってその利益のために訴訟追行権能を与えられることを意味する。

従って、破産管財人はその職責上、否認権を行使して破産者の従前の行為を否定し、根底から覆すことさえできるのであって、破産者内村個人の従前の言動に反する主張立証ができることは当然である。

(三) 更に、本件破産宣告決定は、本件講による事業を営む者は内村個人ではなく、人格なき社団たる本会であるとの内村の主張を否定してされたものであり、対世効を有する。即ち、破産宣告手続では職権調査が採用され、宣告の告知は公告によりされるなど、本来全債権者を拘束する強制力のある制度である。少なくとも本件破産宣告の主文は「本会こと内村」を破産者としたもので、同主文は、内村が本会の名称で種々の活動をしていたこと、その名称使用の事業活動が破産宣告の対象となることを明記しており、裏返して言えば、本会の事業は内村個人の活動であることを示しているのである。

右宣告により管財人は破産財団の管理権を有することになるが、本会は社団であるとの主張を許せば、財団の範囲は定まらず、管理処分権限の範囲も不明確となる。以降の内村の活動をめぐる裁判例はいずれも本会の社団性を否定しているところである。

(被控訴人らの主張に対する控訴人の反論)

一  総会等における会員意思の反映について

被控訴人らは、支部大会の開催等が全ての構成員に周知されていないから、会員総会等に構成員の意思が反映されないとして、この点を強調して、定款の成立と社団性を否定する。しかし、この点は結局は団体の内部的自治の問題であり、必ずしも社団性を否定する根拠となり得ないものである。会員代表を選出して間接的に反映させる方法は他の規模の大きな団体でも採用されている。民法三八条及び六九条によれば、定款の変更等の特別決議を要する点も定款の別段の定めにより排除できることになっており、非営利的社団か中間的社団で、かつ構成員が全国的に存在し、構成員に経済的負担が課せられておらず、社団総会の通知が会員にされていないのに、社団性が認められた団体は数多く存在する。本会の構成員も会員総会等の通知がされていなくとも、同様に不利益を負うことが少ないのであり、当該団体の内部的自治の問題として、その人格性の判断には影響がないものというべきである。

二  定款の有効性について

定款が可決された本件総会に先立ち、各支部では新聞折込み広告や電話や世話人連絡等により支部大会の開催通知をしたうえで総会の会員代表を決定しており、内村が恣意的に会員代表を集めたものではない。各支部は隣接県等も管轄することとされているから、これらの会員の把握数等に応じて代表数が決定されたのであり、本件総会に会員の意思が反映しなかったとは言えない。

仮に、通知の瑕疵のために定款が無効としても、少なくとも参加した九四名を構成員として開催され、人格なき社団が発足したということができる。私法上又は租税法上、人の集まりである団体が、人格なき社団であると認定されるのには、必ずしも設立総会の開催が不可欠ではなく、判例中には設立総会の開催を何ら問題にしていないものもある。人格なき社団は自然発生的なものが多いのであり、現行税法もこのような団体について構成員個人に所得税を課することの不合理性と、法人税を課することもできない空白を埋めるために、法人ではない人格なき社団を法人とみなして法人税を課することにしたのであって、人格なき社団と言えるか否かは、前記各要件の有無等に照らして判断されるべきものである。

三  業務執行の状況

被控訴人らは、業務執行機関の形骸化を主張するが、内村が終身の会長であるのは、同人が鼠講の創始者であることを考えれば当然であり、何ら不合理なものではない。内村を終身の会長とすることは各理事も異議なく認めていたところであり、また、理事も鼠講事業に精通した適当な者が選任されるべきもので、内村の指名によるのも一応の合理性がある。なお、内村は終身の理事であり、会長であるが、その更迭は、定款によって会員多数の同意のもとにその定款自体を変更すれば可能となるのであり、不可能なものではなかった。

四  支部大会の状況

県支部大会等の参加資格を一年以内の購入会者に限るとの制限はなかった。本件総会出席等についても一年以内入会者に限ることなく、選出がされており、昭和四七年五月二〇日以前の入会者も本件総会等に出席している。支部大会の開催案内や地方新聞掲載の支部大会の広告も、特に出席者の資格を制限したものは見当らない。

五  経費支出等についての手続不遵守について

被控訴人らは九段ビルの取得につき理事会の承認を受けていない旨主張するが、資産の取得はいずれも理事会の付議事項ではなく、無断でしたからといって、定款違反とはいえない。独断の行為は一般の法人組織のワンマン経営者によくみられるのであって、内村の地位が強固であるとの評価に留まるべきものである。

昭和四七年五月二〇日以降取得の保養所等は、定款九条の理事会の基本財産繰入れの決議がされていないが、このことは単に当該資産を基本財産としなかったということであり、何ら問題はない。なお、旧畜研用地等は定款通りに理事会の承認がされている。

役員報酬やそのほかの経費支出等についても、理事会が何ら放置していたものではなく、数回にわたり会長らの報酬等の決議をしているのであり、不備があるからといって直ちに理事会が無視され、形骸化していたとはいえず、また、これも結局は団体の内部自治の問題にすぎない。

大観宮への寄付が仮に理事会に付議されていないとしても、定款上は付議は必要ではなく(定款二五条)、上位機関の会員総会に付議されており、何ら問題はない。

昭和四七年五月一九日以前の内村の事業経費を本会において負担しているとしても、これは内村において、既に同日以前に本会が人格なき社団として成立したと主張していたことによるのであり、むしろ内村の従前の主張に副うものである。なお、控訴人は、この個人の事業経費については、本会の法人税の更正処分において法人経費としての損金控除を否定している。

六  破産後の状況

本会は、昭和四七年五月二〇日成立後、現実に事業活動を継続していたが、同五四年五月一一日無限連鎖講の防止に関する法律の施行を目前に控えた同年四月一一日の会員総会において、無限連鎖講にかかわる事業の終結を宣言し、更に同五五年二月二〇日内村に対する破産宣告の決定があったため、社団としての事業活動を事実上閉鎖したにすぎない。本会の解散手続はされていないし、額の大小を問わず社団の財産が残存している以上、社団としての実体を失うものではない。

七  破産宣告の効力と信義則違反について

破産管財人は、破産宣告以前に有していた権限の範囲を超えた特別の権限を有するものではない。課税処分を争う取消訴訟は当該納税者のみが提起できる原告適格を有するのであり、破産管財人の主張も破産者のみが主張できる範囲のものに限られるべきである。

また、破産法上の否認権は、破産者が債権者を害する行為をしたこと、つまり、破産者の財産を減少させる行為という有害性を前提として認められるものであるところ、内村にとって法人課税の選択の方が有利であることは自明であるから、本件課税処分は破産者の財産を減少させることにはならず、否認権の対象ともなり得ない。

破産管財人が本会の社団性を否定する主張ができる場合があるとしても、それは法人税課税処分に重大かつ明白な瑕疵があって無効の場合に、当該課税処分に基づいて破産者が国に対して有する公法上の不当利得返還請求権を、破産管財人が破産者に代位して、国に租税の返還請求を求める場合に限られるというべきである。

破産事件は非訟事件であり、破産宣告は破産手続を開始する旨の裁判であり、対世効、第三者効があるものではない。また、破産宣告決定主文中には「本会こと内村」との記載がされているが、内村に破産を宣告するに際しての便宜上のもので、いわば余事記載にすぎず、法的意味はない。

第三証拠<省略>

理由

一  請求の原因一、三の各事実及び内村が昭和四二年三月頃から以降、第一相研或いは本会の名称のもとに、「親しき友の会」等の本件鼠講を開設してその事業を営み、昭和四七年五月一九日までは内村が同事業の主宰者であったところ、同月二〇日に本会の本件総会が開かれて、別紙一記載内容の定款が承認、可決され、その際に本会に譲渡されたとされている資産が本件資産であること、同日、以降、会員総会や理事会等が開かれ、内村が昭和四七年七月四日付で控訴人主張のような給与支払事務所の開設の届出をしたことは当事者間に争いがない。

控訴人は、本件更正の要件をなす右本会の社団性の取得を主張するところ、右争いがない事実及び各証拠によれば、次の事実が認められる。

1  内村は、自ら鼠講等を考案し、実施してきたが、更に組織的に整備することを企図し、昭和四五年末頃に講運営の指針となる「第一相研主旨・綱領」を作成し、更に本会の名称を使用して講事業を社団法人化するための定款案の作成に着手したが、結局、「人格なき社団」の形式で講事業の運営を図るべく、更に同定款案に手を加え、昭和四七年一月二七日に第一回発起人会を、同年五月一一日に第二回発起人会を開いて、同案を検討するなどした。内村らは、更に本件総会での定款案の承認等、役員選任等の下準備をし、その結果、同月二〇日に開かれた本件総会において、別紙一のとおりの内容の定款案(以下「定款」という。)の承認、役員の選任等が議決された。

2  右以降、内村らは、本会なる人格なき社団が成立したとして、同名称のもとに活動を開始し、従事職員の給与支払につき、所得税法二三〇条に基づいて所轄税務署長に対し、昭和四七年七月四日付で第一相研代表者内村名義の給与支払事務所を同年五月一九日付で廃止した旨の届出をすると共に、新たに、同月二〇日付で本会代表内村名義の給与支払事務所開設の届出(役員一八名、事務職員八〇名と記載されている。)をした。

内村は、昭和四八年五月三一日付で、本会は人格なき社団であるとして、昭和四七年四月一日から昭和四八年三月三一日までの会計年度分の法人税の確定申告をし、一方、内村個人の昭和四七年度分の所得税納税額として別表1の確定申告額記載のとおりの納税申告をし、以降、同様に本会の法人税、内村個人分の所得税の各確定申告をした。

3  本会では、本件総会で選任された理事により昭和四七年五月二〇日以降、ほぼ毎月一回、定期的に理事会が開かれ、本会の事業等について審議され、年一回の定期会員総会等が開催され、各会計年度の事業報告書、歳入歳出予算書、収支計算書の承認の議決がされた。また、昭和四七年一一月二五日付で支部運営規則(<証拠>)が設けられ、昭和四七年六月一七日の理事会で支部認可審査に関する規程(<証拠>)の実施が議決され、これに基づき下部組織として数県において支部及び地区支部や連絡事務所が設置され、本部から認可された県支部は、昭和五一年五月には一三、昭和五二年五月には約二〇にのぼり、各地で会員総会出席者選出等を議題とした各県支部等の大会が開かれた。昭和四八年には、一六の県支部大会が開かれたが、昭和五二年には大小四四の県支部大会等が開かれ、同年の大会参加者は平均三〇〇人程度で、多い所では一〇〇〇人を超える程度であった。

4  また、事務職員の給与については、昭和四六年八月に給与規程(<証拠>)が設けられていたが、昭和四七年一〇月に経理規程(<証拠>)が、更に昭和五三年には役員報酬規定(<証拠>)が設けられ、実施された。更に、昭和四八年には「本会研修制度及び運営の定め」(<証拠>)が作成され、これに基づき思想普及員研修制度が実施された(これらの理事会、会員総会の開催回数や審議事項及び支部大会の状況や経理規程の存在等の概略は、その実質的な活動であったとの主張部分を除き、外形的には、控訴人の主張三、3及び別表5、6のとおり認められる。)。

5  熊本国税局は、本会が法人税法二条八号の「法人でない社団」に該当するか否か及び鼠講事業が収益事業に当たるかにつき検討し、「(1) 人格なき社団と認められる。(2) 社団の構成員については、講の全加入者を構成員とみるのが相当である。(3) 鼠講事業は周旋業に該当し、収益は課税対象となる。」との判断に達したものの、更に昭和四九年五月一六日付で、上級庁である国税庁に対し、本会の人格なき社団としての実体を備えていると判断されるか否かについての見解を求める旨の上申書を提出し、判断を仰いだところ、国税庁は資料を検討し、昭和五一年三月に至って、ほぼ熊本国税局と同様の見解である旨の回答をした。

6  控訴人は、右回答を受けて、昭和五一年三月一一日付で請求の原因一の本件更正をするとともに、本会に対し、本件資産等の譲渡は相続税法六六条二項の「人格なき社団設立のための財産の提供があった場合」に該当するとして、合計一二億円余にのぼる贈与税決定、無申告加算税等の賦課決定をしたところ、内村は同決定等についても本会名義で異議申立をした。

以上の事実が認められ、この認定に反する証拠はない(但し、一部理事会議事録に誤りがあることは後記のとおりである。)。

本件更正は、概略、右認定の経過のもとにされたものであるところ、内村の従前の鼠講事業については、発起人会、本件総会が開かれ、一応社団の定款としての形式の備わっている本件定款が審議可決され、理事が選任されて以降、理事会により講事業の運営事項が審議され、本会が講事業の主体であるとして、内村個人の給与支払事務所の廃止、新たな事務所開設の届出がされ、法人に準ずるものとして法人税法に基づく確定申告がされているのであるから、外形的には本会が新たな人格なき社団として成立したと解釈されるのも理由がないとはいえず、本件における控訴人の主張も内村はいわゆる「法人成り」したと評価できるというに帰するものと解される。

しかるところ、被控訴人は、主として本会の社団的な実体や実体的活動がないことを主張してこれを争うものであるところ、ある集団が人格なき社団としての社団性を有するか否かは、その集団に法人格が存在すると同様の実体的活動があると評価し得るか否かの問題に帰するから、本件更正額の当否の点は置くこととして、更に鼠講事業の実体、内村と本会の関連等について検討する。

二  右一に認定の事実<証拠>によれば、次の事実が認められる。

1  内村は特攻隊要員として終戦を迎え、戦後は保険外交員などをしていたが、昭和四〇年頃、妻英子の加入していた誠相互経済協力会の会員勧誘パンフレットを見せられて同会の仕組みを知り、同様の会を創設することを企図し、これに自ら検討を加えて、順次入会者があれば無限連鎖となる仕組みのいわゆる鼠講である「親しき友の会」(内村の考案、実施した各講の仕組み等の詳細及び講加入口数の推移は別紙五、別表7、8のとおりである。)を考案し、昭和四二年三月熊本県上益城郡甲佐町の自宅に事務所を置き、実兄内村武雄、実妹橋口千鶴子ら原始会員八名の協力を得て、第一相研の名称のもとに「親しき友の会」を発足させ、実施した。同月の同会の入会者は二一名であったが、順次増加し、同年七月には約一万名に達する程であり、講の加入者の増加とともに内村は保険外交をやめて、第一相研の所長と称して右会を主宰し、家族に手伝わせて講に専念するようになった。

なお、内村は、事務所移転を前提として、同年七月一〇日付で合資会社福田部品との間で、第一相研「親しき友の会」代表者内村名義で熊本市本山町六三五番地の宅地と同地上四階建建物(以下「旧福田ビル」という。)の売買契約を結び、とりあえずこれを熊本西部支所として利用した。

内村は、「宇宙生命一体論」に立脚し、地球規模での共和五族、万法帰一、「心、和、救け合い」の精神を唱えていた郷土の先輩西村展蔵の思想に共鳴し、同人の門下生を自称していたが、同様に西村に師事していた中谷正次郎(以下「中谷」という。)を講事業に誘い、同人も同年六月頃から内村の事業を手伝うようになった。

2  内村は、昭和四三年頃に右甲佐町の事務所を旧福田ビルに移転させたが、同事務所で入会の事務に携わる職員等は多いときには一〇〇名を超すこともあり、また、一部の県には有力会員によって支部が設置され、各県から本部を見学に訪れる者も多くなった。

しかし、右「親しき友の会」の会員となった者は、四名の子会員を勧誘しなければならず、かなりの負担であり、目標額取得までに長期間を要することから、次第に入会申込者は減少するようになった。そこで、内村は金額が大きく、早く完了する鼠講をと検討し、更に別紙五の第一相互協力会等の会を次々と考案して実施し、これにより、昭和四五年度の収益は前年に比較して一〇倍以上の増収となった。

3  内村は、入会者の勧誘のためと鼠講が金儲けであるとの非難を避けるために、昭和四四年七月頃から民間保険会社との間で、交通安全等友の会等の会員を被保険者とする交通障害保険契約(契約期間は入会後一年間)を結び、交通事故等見舞金制度を実施し(昭和四六年一月頃に保険会社から解約の申入れを受けたために相互共済見舞金制度に切替えられ、一時中止の後、昭和五〇年四月頃に設けられた共済組合規約及び共済給付規定により再度実施されている。)、第一相互協力会等の会員に対し、入会後一年間に限って研修保養所の無料宿泊飲食の特典を与えるなどの付随的制度も考案して、昭和四四年六月頃から順次、実施した。

本部事務所への送金は会員への通知費用等或は本部職員の費用、宣伝活動費用等に充てられ、また、内村は、昭和四五年五月頃から熊本県鹿本郡植木町の土地や玉名、別府、阿蘇、熱海等の旅館等を購入し、熊本県内の旅館等については、本部職員の保養のほか、講会員らが本部を訪れた場合の宿泊施設として利用した。

その頃から、内村は、鼠講事業は前記西村の思想の「救け合い」の実践活動であると称するようになり、また、鼠講が不健全との非難を回避するため、昭和四五年一二月頃、鼠講とは全く異なる別紙五のとおりの畜産経済研究会を設置し、更に、同月頃から講事業は前記西村の天下一家の思想の具現であるとして「天下一家の会」の名称も併せて使用し、自らは本会の会長と称するようになった。

また、内村は、諮問委員制を設け、各地の有力会員(代議員)を同委員に任命し、緒方敬弘(内村の親戚、昭和四五年九月入会し、昭和四六年一〇月頃まで内村を手伝った。)やその後入会の真崎武彦(昭和四五年一二月から昭和四六年三月まで在籍)と相談し、昭和四五年末頃、前文と全七条からなる「第一相研主旨・綱領」を作成し、講勧誘用のパンフレット等で公表したりしたが、右諮問委員も具体的な業務を分担しているものではなく(なお、諮問委員会が開かれるようになったのは昭和四六年八月頃からである。)、右綱領も「本研究所、会は主旨に賛同したる親和の友の集まりで組織される。」(第三条)、「会費の一部を社会福祉の諸施設に当て福祉生活を具現する。」(第五条)、「代表の最終責任者を内村と定め、組織運営責任者を所長(会長)一名、常務六名、計七名とする。」(第六条)等の簡単な内容のものであった。

4  昭和四六年一月頃には、数県において自然発生的に支部と称する組織ができていた(なお、昭和四二、三年頃にすでに八代、小倉等に支所が開設されていた時期がある。)が、その地域の有力会員らが新規加入者の増加を図るために連絡場所などとして設けたもので、本部の下部組織といえるものではなかった。

内村は、前記真崎らの意見を徴することはあったが、同人らの意図する組織化、宗教法人化とは方向を一にするものではなかった(前記のとおり同人らはその後講事業から手を引いている。)。また、部内の主な職員を常務と称させて常務会を開かせていたが、右常務も適宜任命され、会員に対する指導者的役割を受け持っていたにすぎず、職員の採用、解雇、職務分担の決定、入会金の出納管理、処分等の講事業に関する事項の最終決定は、全て内村がしていた。

昭和四六年五月末頃には、講加入口数の合計は約六〇万口を超え、入会金の総額は約一〇〇億円に達し、同年六月には旧福田ビルの裏に八階建の新本部事務所ビル(以下「相研ビル」という。)が完成し、内村は、同ビル五階を会長室及び自宅として使用した。同ビル六、七階は職員用の住居であったが、内村は七階に長男文伴、二男講男(いずれも同年に結婚した。長男文伴は同年に大学卒業後、内村の講事業を手伝うようになった。)及び経理部長を居住させ、同人らに経理事務等を分担させて講事業の執行、財産の管理処分等の全てを統括した(なお、経理関係は昭和四四年六月頃までは内村の従兄弟の津崎季賢が担当したが、その後は内村自身や長女の伴子、内村の実兄の武雄が受け持ち、昭和四六年春頃から以降は長男の文伴が担当した。右津崎や緒方、真崎等の主な職員については内村が直接面談して採用したものである。)。

内村は、入会金で購入した前記旅館等を保養施設に転用し、更に経営不振となった旅館等を購入したほか、映画「大空のサムライ」の製作、小型飛行機六機の購入(いずれも、思想普及のため或は将来の操縦士需要に備えるとの名目であったが、内村やその戦友仲間の発案によるものであった。)や高級乗用車の購入、知人からの貸付返済等に、また、福祉対策名目で地元の甲佐町(昭和四五年一二月に一〇〇〇万円)、御船町(別荘一棟)への寄付等に支出した。なお、右土地建物等は殆どが前記「親しき友の会」代表者内村名義で購入されている。

5  各講の入会者は、殆どが周囲の入会状況を知らないまま入会したが、二ないし四名の子会員を勧誘して加入させねばならず、再加入等はあったものの、周囲の友人、知人への欺罔的な勧誘とこれにより入会した者の先輩会員への補償の要求等のトラブルが絶えないものになった。昭和四六年頃には、会員飽和のために勧誘がうまくいかなくなった長野県内の会員から鼠講に対する苦情が寄せられ、時には集団で本部に抗議に訪れ、或いは詐欺であるとして内村を告訴し、訴訟を提起する者もあらわれるようになった。また、前記甲佐町事務所時代以降、莫大となった入会金収入の課税調査のために所轄税務署の担当者がしばしば事務所を訪れるようになった。

そこで、内村は、前記会員からの抗議等に対し、本会に社団性を持たせて対処することとし、共済会関係の規約等を取り寄せて検討し、本会の定款案を作り、昭和四六年六月一五日の前記相研ビルの落成式に多数の会員を集めて同案を披露すべく準備を進めた。

しかし、内村は同月五日、所得税法違反で国税局の査察調査を受け、その後同四七年二月に同法逮反で逮捕され、熊本地方裁判所に起訴されたため、各保養所閉鎖のやむなきに至り、鼠講への入会者は激減した。また、内村は同四六年一一月三〇日には、昭和四三年から同四五年分の申告所得額について所得税更正処分、重加算税の賦課決定を受け、これらの税額の総額は二六億円余にのぼり、課税対策上も社団等の外形をとることを余儀なくされるに至った。

6  内村は前記定款案に手を加えたうえ、講事業の社団法人化を図るとして、昭和四七年一月二七日、支部関係者一七名(支部総代名目の者ら)、本部関係者一〇名の出席のもとで第一回の発起人会を開いた。その席上で、内村は、社団法人的なものを作りたい旨挨拶し、定款案が審議された(当初の定款原案は別紙一とやや異なり、会員の会費納入や除名決議に関する条項があるなど、より具体的、明確で緻密であったが、一部が削除されたうえ、殆んどが抽象化されたあいまいな条項となった。なお、当時は前記所得税法違反被疑事件に関連して内村や本部職員が検察庁での取調べを受けていた。また、内村は当初宗教法人的色彩のものを企図したことが窺われる。)。更に、同年五月一一日に支部関係者一五名、本部関係者一一名が出席して第二回の発起人会が開かれ、同様に定款案が審議され、同年五月二〇日に設立総会を開催する旨、代表は各県支部より会員代表五名(熊本は一〇名)で、他に委任状出席者もそれぞれ約一〇名程度とする旨及び新理事が決められた(同月一二日には新理事による理事会が開かれ、同旨が議決されたこととされている。)。

なお、昭和四七年五月当時、前記任意で発足した支部のうち、青森県等の八ないし一〇府県の活動が活発であった(同年一月に本部から支部旗等を授与される形で認可されていたのは青森、岩手、秋田、山形、富山、岐阜、大阪、沖縄、及び熊本の九府県支部である。)が、当時は、各地に有力会員によって自称の支部や連絡所が設けられ、一県内に多数の支部がある県があるなど、組織化されたものではなく、従って、各支部等の会員の把握数にばらつきがあり、支部内の会員把握率は良い所で九〇パーセント程度であり、青森県支部では全体の加入会員は不明で、四名の有力会員が後輩会員を主とした組織作りをして本部から認められたものであった。

7  前記のとおり、昭和四七年五月二〇日に本会の本件総会が開催され、定款案や予算案、理事選任案等の審議、承認が可決され、内村は会長指名理事(全理事の三分の一とされている。)として、長男文伴、内村竜象(内村の本家筋の親戚に当たる)、中谷、堀鶴平及び本田俊雄の五名を指名し、同日、理事会が開かれ、文伴、中谷が副会長に選ばれたが、文伴らはそれまでも副会長であったものであり、従前の常務は部長と呼ばれるようになったものの、それらの業務内容も従前と同様であった。

右総会の議事録(<証拠>)には、出席者につき、「出席者、一 支部選出会員代表、会員代表総数一四〇名、内出席会員数九四名(内委任状提出者五四名)、二 参列者 (1) 支部外会員代表六名(内訳、石川県二名、長野県一名、長崎県三名)、(2) 本部関係者(会長、理事、監事、常務、部長等)」と記載されているが、右出席扱いの支部代表者は青森県の七県支部に在籍の者らであり、一応各支部で推薦等による代表選出の形がとられて参加した者もいるものの、遠隔地からの出席であって、殆どは本人の希望等により適宜の方法で決められたもので、支部、連絡所もない会員には右総会の通知等はされないままであった。当時の年別、県別講加入口数は、別表7、8のとおりであるが、本件総会出席者数の割当てはこれら加入口数等を考慮してされたものではなく、前記のとおり、各支部一五名程度として割当てられたにすぎなかった。なお、右委任状提出者として取扱われた者も、その委任が個人会員としてのものか、支部の会員代表としてのそれであったか明確でなかった。

8  右総会以降の入会者については、本部から会員証とともに勧誘手続に必要な書類、定款(以前は綱領)、保養所の利用規定、交通傷害保険の説明書等が送付されたが、総会以前の入会者に対し、改めて総会の議決内容や定款等が送付されることはなかった。

定款二八条では、会計年度を発足の日より昭和四八年三月三一日までとすることとされているが、事業報告書・歳入歳出予算書(<証拠>)では、査察調査以後の同四六年七月一日から同四八年三月三一日までを一括して処理、報告されており、右昭和四七年五月二〇日の前後で収入、支出の区別はされず、右報告書の事業概況の説明でも「同日に当会の組織を強化し、定款を制定した。」旨の記載はあるが、特に新たに講事業の主宰者の変更があったことを窺わせる記載はない。右のとおり、理事は選任されたが、殆どの理事や監事は県外者らであり、常勤は会長、副会長である文伴、中谷の二名であったので、講事業運営に関する殆どの事項は内村が決定した。一方、内村はその後も講事業を本会の事業であるかのごとく宣伝して事業を推進し、公益法人化も企図したものの、その見通しを得ることができなかった。

なお、内村は、右総会後の昭和四七年六月一六日付で所轄税務署(控訴人)に対し、「本会は従来から福祉社会、救け合い等を目的とした人的結合体で、実態は権利能力なき社団と信じているが、五月二〇日の会員総会で定款の承認を得たので、なお、具備すべき点があれば、補正の措置を採りたく、御教示下さい。」との記載内容の「不備事項御指導方のお願いについて」と題する書面を提出している。

9  前記昭和四七年一一月二五日付の支部運営規則制定までは、本部から各支部に会員名簿が渡されることはなく、支部では葉書や電話口コミ等により適当に会員への伝達をするにすぎず(もっとも、新聞広告をする支部もあった。)、各支部長も多数口の投資をしていて(六〇〇口加入の者もいた。)、その回収として会員を勧誘する必要があるため、自ら事務所を設けて活動を始めた者が多く、交替するときには引継ぎがされないこともあった。一部の支部には支部職員が置かれたが、昭和四八年三月現在で六支部にすぎなかった。また、本件総会後に本部から支部として認可されたのは昭和四七年七月の埼玉、石川、同年八月の長野、同年九月の兵庫、昭和四八年一〇月の岩手(もっとも、前記のとおり昭和四七年一月に支部旗を授与されていた。)、昭和五一年七月の神奈川、同年一〇月の東京の各支部等にすぎず、同規則四条により、支部の中には隣接県を管轄地域とするものもあった(管轄支部と呼ばれていた。)が、秋田県支部が東京都等を管轄するなど実効性のあるものではなかった。

支部の下部組織として地区支部或は連絡事務所が設けられることがあったが、いずれも有力会員が主となり勧誘の拠点とするためのものであった。前記一のとおり昭和五二年には多数の支部大会等が開かれているが、支部の組織化や会員の把握には極端に差があり、支部会員総会が殆ど開かれない支部もあり、また、議題は本部から割当てられた総会出席者の決定や保養所設置の要望についてのものが殆どであり、当該支部等の運営について規約等はなく、大会が成立するか否かの定足数が議論されることもなかった。

なお、各支部の運営経費は、昭和四七年一月初めから各講の入会金の一定割合を臨時協力費名目で支部に支払われ、或は、その後定額で支出されたりしたが、昭和四九年四月以降は業務運営費として渡し切りとなり、本部への月次或は年次決算の提出はされていない。また、昭和五二年四月以降の入会数の激減に伴い、支部に対して運営費の貸付がされており、合計額は昭和五四年九月末で三一四六万九〇〇〇円(<証拠>)に達したが、その後は未清算のままとされた(<証拠>)。

10  前記のとおり、本件総会以降、年一回の定期会員総会等が開かれているが、支部からの会員代表の選出について、昭和四八年一月二三日の理事会において、「(1) 対象を査察以後の会員に限る。(2) 県支部のないところは隣接県支部が担当して代表を決める。具体的な点は本部原案を作る。(3) 会員代表総数は一二〇名とする。」旨が決定され、これにより昭和四八年五月の会員総会の代表数一二〇名が各支部のある県や福島県、愛知県、福岡県、徳島県等の二四府県に割当てられたが、定款一五条で、会員代表は各支部において選出されることになっているのに、右福島県等がどの支部に属するのかは不明確のままであった。右割当は、主として昭和四六年六月から昭和四七年一二月末までの間の各支部等の講加入口数を勘案して決められ、従って、右二四府県以外の県等の会員は原則として対象外となり、また、それまでの親しき友の会、第一相互協力会、交通安全等友の会、中小企業協力会等の昭和四六年六月四日までの加入口数の合計は、全加入口数の九六パーセントを占めていたが、これらの加入口の者は、その後の再加入者を除いて無視されることになった。この点は昭和四九年度も同様であって、総会代表者数一八〇名と決められたが、多数を占めるのは青森(北海道を含む。)三七名、秋田(岩手、宮城を含む。)四三名、山形(福島を含む。)一八名で、いずれも昭和四八年の加入者が多いことによるものであった。昭和五〇年度は三〇〇名として二四都道府県に割当てられたが、九州では、長崎県に七名、熊本県に六名、合計一三名のみであり、四国の各県への割当はされなかった。昭和五一年度は三〇〇名として二七都道府県につき割当てられたが、東京都五六名、千葉県四三名のほか、九州では熊本県一名、沖縄県三六名等であった(なお、同年五月の会員総会の支部代表出席者数は右三〇〇名を上回っている。)。昭和五二年度、同五三年度も三〇〇名として、それぞれ四一、四七都道府県に割当てられたが、地区支部や連絡事務所等の増加によるものであった。

11  内村は、更に講事業に既存の財団を利用することを企図し、社会福祉事業を目的として熊本県知事の許可のもとに昭和二二年七月に設立され、その後休眠状態にあった財団法人肥後厚生会を傘下におき、昭和四八年三月一〇日、文伴、中谷ら四名とともに同会の理事となり、更に自らは会長に就任し、同年四月二〇日役員変更等の登記をしたうえ、同年五月一八日に同会の名称を財団法人天下一家の会に変更する登記をした(なお、右名称変更等は寄付行為の変更であり、主務官庁の許可を要したところ、その手続を経ず、また理事就任等の理事会の手続にも瑕疵があったために、同登記等は昭和五二年一二月に手続違背を理由に職権により抹消された。)。

以降、内村は同会は前記西村の「心、和、救け合い」の「和」の実現の場であるとして、講勧誘のパンフレット等には、本会と右財団法人天下一家の会が一体であることを強調して記載し、鼠講が国において公認しているかのごとき表現を用いて宣伝した。内村は相研ビル近くに保健衛生事業センター建設名目で農地を取得しており、他の理事らに対して、一〇〇億円の同財団基金を作る旨を述べていたが、いずれも本会の講事業による収入を流用する予定であった。なお、同財団は能本県内でしか活動できなかったので、内村は他の全国的規模の財団との合併を目論んでいたが、その後、実現には至らなかった。

12  内村は、昭和四八年一一月「心、和、救け合い」の「心」を象徴するものとして大観宮を創立し、自ら代表役員社主となり、事務所を第一相研ビルに置き、社務所を熊本県阿蘇郡阿蘇町小里六一〇番地に置いて、以降前記財団法人天下一家の会とともに講入会勧誘の手段として活動させた。

右財団法人天下一家の会、大観宮は、いずれも本会の事務所と同じ相研ビル内にあり、役員、職員及び経理担当者は、殆ど兼務し、同ビル五階は内村の自宅を兼ねており、文伴が総務、会計を担当し、常勤は会長と副会長のみであったから、これら三者の経理や事務分担等の全ては事実上内村が決定していた。

また、内村は、更に社会福祉法人豊徳会を設立して理事長となり、これを隠れ蓑として、同会との間でも財産を適宜移動させていた。

内村は、昭和四九年四月以降、各講の入会金収入のうちの二五パーセントを財団法人天下一家の会への寄付金としていたが、昭和五一年度分からは、洗心協力会の入会金収入のうち、二五パーセントを大観宮への寄付金として計上し、運営に当てていた。

また、内村は講勧誘を効率的にするために、昭和四八年八月頃に思想普及員なる制度(それ以前に同様の制度として渉外部員制度があった。)を設け、以降、阿蘇平和道場(その後大観宮に移管された。)において、定期的に研修等を行った。一回の期間は四日程度(最低二日)であり、全国から支部推薦者を集めて実施され、内村や文伴、中谷らが講の組織と運営、見舞金制度や天下一家の会の思想等について説明し、講師を招いて講演をしたりした。昭和四八年で二回合計一〇九名が研修し、昭和五一年五月現在で研修終了者は総合計一六二三名に達しており、右普及員には勧誘指導にあたった新規加入者の入会金の二〇パーセント相当額が思想普及費名目で支給され、研修終了生五名(後に一〇名となる。)以上のグループは研修生グループ(連絡所)を本部承認のうえで設置することができ、その場合は独立採算制として入会金の五パーセントで運営することとされた。その後に各地で多数の地区大会等が開かれているのは、右普及員がグループを作ったことによるもので、昭和五〇年度の総会の会員代表の三分の二は普及員であった。

13  昭和五一年度予算案では、全国の拠点とする東京本部事務所の設置費用等として五〇億円が計上されており、同年七月一六日の理事会で、株式会社長谷川工務店所有の東京都千代田区九段北三丁目所在の地下二階地上一〇階建のビルとその敷地(以下「九段ビル」という。)の買収について、代金価格一六億円程度として審議されたが再検討することになっていた。しかるに、内村は、同年九月二七日頃に上京し、同工務店との間で売買の交渉をし、本会名義での購入を取り止め、財団法人天下一家の会名義で、代金一三億五七〇〇万円の売買契約を結び、直ちに本部から現金を持参させて同月三〇日には同財団名義の移転登記を経由した。右九段ビルの購入代金は形式的には財団法人天下一家の会の預金口座から支出されているが、前記のとおり講事業の入会金収入によるものであった。

その後、同ビルの三階から九階までは本会の事務所として使用されていたが、後記内村の破産前後に一部が第三者に賃貸されており、その賃貸人は内村の二男講男が代表者であるマリオン有限会社である。

また、内村は、理事会に事前に付議することなく(もっとも、昭和五二年四月二〇日の理事会で事後承認されている。)、東京の保養所として利用するとして、千代田区九段北一丁目所在の九段朝日マンション(以下「九段マンション」という。)を建築業者に建てさせてこれを購入する旨の売買契約を結び、三億円余の支払をし、更に前記阿蘇町小里の平和道場に隣接して国際平和祈念会館の建設契約を結び、一部代金として三億円の支払をしていた(同物件等は後記のとおり、その後大観宮名義に移転された。)。

昭和五一年三月一一日付の本件更正に対し、本税が同月に、無申告加算税が五月に納付されているが、右納付については、本会の総勘定元帳では仮払金税金(昭和五四会計年度からは「差押えられた現金、預金勘定」の名目)として記載、処理されている。

14  昭和五二年三月三〇日前記長野地方裁判所での入会金返還請求訴訟において、鼠講の入会契約は公序良俗違反により無効との判決が言い渡され、更に、講のトラブルから刑事事件も発生するようになるに及んで、政府やマスコミも鼠講防止のキャンペーンをするようになり、鼠講をめぐる社会問題は頂点に達し、国会での鼠講禁止の立法化が論議され(無限連鎖講の防止に関する法律(昭和五三年法律第一〇一号)は昭和五三年一〇月一八日に成立し、同年一一月一一日に公布され、翌昭和五四年五月一一日から施行されている。これにより、鼠講事業は廃止されざるを得ないことになった。)、各地で入会金の返還請求訴訟の動きが活発化するに至った。

右の経過のもとで、内村は、昭和五二年九月八日の臨時会員総会(同総会は内村の前記刑事事件対策のために開かれたものである。)において、突然に「現在、収益法人なみの四〇パーセントの課税であり、宗教法人である大観宮で講を実施したい。そのために自己所有名義となっている不動産や預貯金等の基本財産の大部分を大観宮名義に移転したい。」旨の発言をしたところ、出席会員からの反対もなかったために同案はわずか三分で可決された形となった。そこで、内村は、直ちに本会の基本財産とされていた別紙二の本部建物等及びその後購入された保養所等を含む二四の物件(不動産)について所有権移転の登記手続をして大観宮の所有名義として、建築工事中の九段マンション及び国際平和祈念会館については注文主変更の手続をし、更に動産や現金、預金等を大観宮に移管するなどして譲渡し、一方本部の相研ビルと一部の動産については、本会がこれらを大観宮から使用貸借により借り受けて使用するとの契約書を作成し、以降従前と同様に本部事務所等として使用した。

また、同年七月二二日の理事会では、準備委員三名を選任し、本会において太子講を実施する旨が議決されたが、同年八月一一日の大観宮の役員会で同講は大観宮が実施する旨が決定され、その後同講は大観宮を事業主として実施された。更に大観宮は八段からなる大師講も実施しており、実質上講事業は大観宮に引き継がれた。

なお、右臨時総会での代表会員は三〇〇名であったが、出席は二一三名で、うち委任状出席者が八〇名である。

15  右大観宮への資産の移転について、内村は、昭和五二年一一月二八日付で大観宮に対し、約六〇億円の現金、預金等の返還の申出をし、同月三〇日付及び同年一二月一二日付で同額返還の手続をし、これを本会の昭和五〇年度の法人税の支払等に充てた。また、内村は、同年一二月に、財団法人天下一家の会に入金していた三〇億円を社会福祉法人豊徳会に寄付したとして同法人名義とし、また、前記大観宮境内に建設中の国際平和祈念会館及び東京の九段マンションの工事費用として更に一六億円を要するものとして、昭和五三年三月三一日付の寄付申込書、拝領書をもって同額を大観宮に贈与したこととし、更に、同年五月には同年三月三〇日付で本会に課せられていた昭和五一年度の法人税約三四億六〇〇〇万円を財団法人天下一家の会から二四億八〇〇〇万円、大観宮から五億六〇〇〇万円当て支出して支払った。これらの一連の金員の移動については理事会では何ら論議されておらず、全て内村がしたものである(但し、右大観宮への一六億円の贈与及び課税対策については昭和五三年四月二七日の理事会に付議され、一応論議されている。)。

なお、昭和五三年三月三一日付で昭和五一事業年度の本会の法人税の更正処分の通知がされた。

16  昭和五三年一一月八日、熊本地方裁判所は、前記内村に対する所得税法違反事件(鼠講による所得のほ脱及び不申告税額二〇億円余、当時史上二番目の高額)において、本件鼠講が内村個人の事業で、その入会金収入(但し、前記のとおり、本件総会以前の収入等についてのもの)は同人に帰属するとして同総会以前の本会の社団性を否定し、内村に対して、懲役三年(執行猶予三年)、罰金七億円の判決を言い渡した。

また、同年一二月一九日、静岡地方裁判所は、講入会者が原告となり、内村に対し、先輩会員への送金を出資金と主張し、入会金とともにその返還を求めていた訴訟において、その主張を認め、内村に返還を命じる旨の判決を言い渡した。

右刑事判決や鼠講禁止の立法化とあいまって内村はその対処に追われ、その鼠講事業は閉鎖せざるを得ないこととなった。同年一一月一七日の緊急理事会では、右刑事判決につき、控訴することが決められ、昭和五四年一月三一日の理事会では、係属中の訴訟事件の訴訟費用一億円を同年二月八日に財団法人天下一家の会から借入れて弁護団に預託されることになったが、同理事会において内村個人の訴訟への費用支出の当否につき何ら議論がされることはなかった。

また、昭和五三年一一月二〇日、内村の昭和四六年度所得税課税滞納分として、同人名義の定期預金四〇〇〇万円が阿蘇税務署等により差押えられるや、本会の帳簿上では、同額が同人への貸付として計上されていた(借主を内村として、昭和五四年七月等に返済するとの覚書も作成されていた。)のに、昭和五四年一月二三日付でこれを仮払税金名目に振替えるとの処理がされている。

なお、前記鼠講禁止立法の成立直後の昭和五三年一〇月二七日に、内村は本会の名義で二億一七〇〇万円余で大観宮発行の書籍を購入し、同額の支払がされたが、右購入について理事会への付議はされていない。

17  本会の昭和五四年三月三一日の決算期の次年度繰越金はわずか二二万円とされており、同年四月一一日に第八回定時会員総会が開かれ、講の停止宣言がされた。

同月一〇日鼠講入会者一〇二二名から熊本地方裁判所に対し、内村に対する破産の申立がされ、同裁判所は、昭和五五年二月二〇日、「本会こと内村」を破産者とする旨の破産宣告をしたが、その決定理由に記載された債権者数は一一二万四四八一名で、債務合計は一八九六億円余であった。その後の昭和五五年七月八日までの間の届出の債権は、届出口数五万九二六一口で、債権総額は一七九億円余であり、また、昭和五五年三月頃現在の内村関係の未納税金(但し、本会の法人税関係を含む。)は合計九五億円余であった。

その後、破産管財人は、本会の兄弟組織ともいうべき大観宮に対し、その所有名義になっていた相研ビルや全国二五か所の保養所などの不動産について、その所有権移転登記の否認登記手続等を求めて熊本地方裁判所に提訴し、昭和五九年四月二七日勝訴の判決が言い渡され、昭和六三年一〇月一八日右裁判は確定した。

また、前記九段ビル等についても、その後、破産管財人から財団法人天下一家の会に対して、破産者内村の所有であることの確認と真正な登記名義の回復を原因とする破産管財人への所有権移転登記手続を求める訴えが提起され、一審では右財団法人が勝訴したが、控訴審の東京高等裁判所は、内村と本会は一体で、同財団法人の資産も内村個人の資産の実態を有し、内村が自己の資金で同ビルを購入したと認定し、昭和六三年一〇月三一日原判決取消し、請求認容の判決を言い渡し、同判決については上告がなされたが、その後確定した。

昭和六〇年一〇月、株式会社三陽カントリー倶楽部は、破産管財人である被控訴人に対し、本件総会以前に内村が売買契約を締結していた同倶楽部の土地につき所有権の確認を求めて訴えを提起したが、昭和六二年三月和解が成立して同訴訟は終了した。

以上の事実が認められ、<証拠>中、右認定に反する部分は前掲各証拠に照らして措信しない。

また、右14の昭和五二年九月八日の臨時総会における大観宮への基本財産の移転については、その前の同総会開催準備のため開かれた理事会の議事録(<証拠>)には、「第二号議案 基本財産を宗教法人に移管する件」が付議され、臨時総代会に付議されることになった旨の記載がある。しかし、もともと同総会は、前記のとおり、内村の刑事事件対策のためのものであり、各支部長宛の理事会の結果を通知した同年八月三〇日付の「理事会の結果の通達について」と題する書面(<証拠>)には、この移管の件については何の記載もなく、同年一二月二〇日の理事会議事録(<証拠>)によれば、昭和五〇年以降の議事録を作成し直したことが認められることに徴し、また、<証拠>によれば、同理事会で内村から移管したい旨の発言はあったものの、総会での付議を求めたものでなかったと認められることに照らし、同議事録の記載部分は後に付加された疑が強く、措信しない。

三  右二の事実を踏まえて、以下、検討する。

1  本件鼠講事業の違法性とその特異性

(一)  別紙五の鼠講の仕組みを検討すると、「交通安全等友の会」を例にとってみても、二五代目で講会員数は一億三〇〇〇万人を超える莫大な数となる。無限に続くことを前提とするから、再加入を考えても講は必然的に限界に達し、行き詰ることは明らかである一方、先輩会員への送金のみで納得する会員がいる訳がなく、被害者なしで講が終息することはあり得ない。内村や中谷、高谷らは、人口は無限に続く、或は再加入者、再々加入者がいるから、無限連鎖となる旨及び加入者の事務処理には一定の時間を要するから破産には至らない旨を供述して鼠講を正当化する(<証拠>)が、各講では加入者一名は、子会員二名または四名を勧誘しなければならず、現実の勧誘は自己の知人、親戚等の周囲の者に限られるから、再々加入等の点を考慮しても講が限界に達するのは時間の問題である。また、加入者の送金、申込み等が郵便により行われ、処理に時間を要すれば、内村の標榜する救け合いは無意味なものとなる。

いわゆる講は、庶民金融として古くから行われてきたが、掛込金の総額はほぼ受領金と同額で、加入者は固定され、講員全員が給付金を受領し、掛戻しをするのであり、消費貸借契約類似の機能を営むといえるが、本件鼠講は、名称は講としているものの、実体は全く異なり、勧誘を受けた先輩会員及び自ら勧誘した子会員と面識があるにすぎず、かつ、孫会員以下の拡大は多分に偶然性に左右される。また、子会員の勧誘に失敗した場合は、入会者は送金分等を取り返すために架空名義の子会員を作り、更に孫会員を勧誘して損害の発生を免れようとして、泥沼に入り込むこととなる。「親しき友の会」のパンフレットでは「振込送金等で一日のロスもないとしても一番にランクされるまでは二か月ないし三か月かかる。」と説明しながら、一方では「約三か月後には一〇〇万円が送られてくる。」と短期間のうちの送金と入手が確実であるかのごとく記載し、「交通安全等友の会」のパンフレットでも「数か月後には五〇〇万円が順次送金されてくる。」と同様に宣伝し、更に、新たな会員の勧誘は入会者の責任とされているのに、「後輩が途中でストップする様な場合には本部の調査係より相互の連絡等すべて速やかに解決致しております。」(いずれも<証拠>により認める。)と虚偽の事実を宣伝している。孫取金による一部入金の制度が設けられ、先輩会員に直接送金することになっているのも、少なくとも入会金程度は送金されて出捐の回収が可能と思い込ませて入会させようとの人情の機微をつき、また、不特定多数者からの預り金を禁じた出資等取締法二条の趣旨を潜脱せんとの巧妙な仕組みであり、入会しようとする者は、あわよくば高額満金の受領をと惑わされて入会するのであって、生産性の全くない本件講は射倖的で、あたかも、高額の送金は間違いないものであるかのごとく宣伝し、加入させて、入会金を集めていた内村の一連の行為は極めて違法性の高いものといわねばならない(この点は既に無限連鎖講禁止の立法化がされている事実に照らしても明らかである。)。

(二)  鼠講自体は単純な仕組みであり、期間や金額について会員の要望を考慮したものの、入会金の額、満額のときの受領額、孫取金制度等の基本的要素は内村が自ら考案したもので、講事業といっても、本部において入会者からの入会金の送金を受けての会員証発行等或は主として本部職員の給与事務、各支部との折衝等が主な業務で、保養所維持は付随的な業務であり、莫大となった入会金等の主な使途は新たな会員を取得するための支出とならざるを得ない。

一方、入会者は、保養所等の利用、死亡等の場合に見舞金を受領できる権利はあるが、これも一年間であり、子会員の勧誘後は後輩会員からの送金を待つのみであって、更に満金受領後は会員としての地位を有する実益はなく、いわば、顧客としての認識以上の自覚を持つことは困難である。また、講会員数は無限に拡大されていくから、会員意思を形成することは極めて困難であったということができる。

(三)  控訴人は、本会の事業として、保養所運営等がされ、共済制度が設けられ、天下一家の思想普及員制度による活動もされていたなど、その公益性をその事業目的としていた旨主張し、成程、この点は一面ではそのとおりである。しかし、保養所等は会員があって初めて成り立つ付随的なものにすぎないし、畜産経済研究会の設置や天下一家思想普及員制度も単に鼠講の本質を被い隠すためのものであったことは、前記認定の経過に照らし明らかである。また、本件各講は、前認定に照らすと、早期入会者ほど多額の受領金を得る可能性が高いし、各講は本部等の理事や有力支部長等を原始会員として開始され、飽和に至った講は放置して次々の新たな講を開始していること、会員へのアンケート結果(<証拠>)では、加入の動機について明言はしないが、殆どの者が多数口加入し「金儲け」を意図していることが明らかであり、前記連鎖講の禁止立法の成立後は本会の実質は跡形なく消滅していること等に照らしても、公益性を標榜した前記各事業も、結局は金儲けを隠蔽する以外のなにものでもないことが明らかである。

(四)  鼠講は、以上のような反社会的な性格のものとの評価を免れず、本会は、以上のような講事業の特異性と内村の同事業推進の中で、後述するとおり、外形的にのみ社団設立の形がとられたものであって、内村の講事業の本質の隠れ蓑としての役割を担っていたといえるものである。

2  本会の社団性について

(一)  もっとも、いわゆる一人会社やワンマン会社等において、その社団性が形骸化され、その個人との区別のつかない実体を有する法人も多く実在し、内村も右と同様に実質自分のみの形骸化したいわば一人団体ないしはワンマン団体とすべき意図はあったとしても、社会的には社団として一応認知され得るとの判断のもとに、発起人会、本件総会を開催し、定款の可決をしたのであった。従って、法人格のある社団、財団の形態をとって団体化を企図し、右のとおりに実行したのならば、当然社団性、財団性は肯認されたはずであるし、単に、右鼠講事業の違法性と内村の仮装の意図の故をもって、直ちに本会の社団性自体を対外的にも否定し、内村と本会を同一のものと即断することは相当でない。

また、控訴人は、この点につき、社団性の存否の判断は課税制度の趣旨、目的等、その特殊性に照らし、その観点から独自に判断されるべき旨の主張もする。

たしかに、公平課税、実質課税を本旨とする課税制度のもとにおいて、社会的に実在し、活動して事業利益を上げ担税力を有しながら、私人でもなく法人でもないゆえに課税対象から外れ、徴税を免れるとするのは不公平であり、かかる社会的実在の事業主体を課税制度の本旨に則って捕捉するという機能的側面から第三の納税主体概念を定立することも一理がないわけではなく、所得税法四条、法人税法三条、相続税法六六条等は、右の趣旨による規定と解される。

しかし、右税法にいう「人格なき社団」なる概念は、もともと「権利能力なき社団」として認知された民事実体法上の概念を借用したもので、納税主体をこのような社団概念に準拠してこれを捕捉する以上は、民事実体法上の社団性概念にある程度拘束されるのもやむを得ないことである。他方、ある事業主体の社団性の存否は、優れて実体法上の問題であり、社会的に事業主体、活動主体として実体法上その実在が肯認されることを基礎として、そこに取引主体等が形成され、訴訟当事者としての適格、強制執行の対象となる財産の区別等がされるに至るのである(本件ではまさに破産者が誰であるかにかかわる問題である。)。もっとも、税法上、人格なき社団として課税の客体となり得るか否かも実体法上の問題ではあるが、その社団性が肯認されることが前提であり、その判断においては、法的安定性の点からも社団性の概念は民事実体法と一義的に解釈されるのが相当である。

そこで、この点の判断につき、権利能力なき社団の実体法的要件について判断をした最一小判昭和三九年一〇月一五日(民集一八巻八号一六七一頁)に示された要件を前提に、本会名をもってされた鼠講事業が社団性区別の基準となる要件を充足させるものであったか否かにつき個々に検討する。

(二)  定款作成上の瑕疵

控訴人は、本件総会により団体組織としての主要部分を定める定款が成立し、従前の講加入者も含めて全員が構成員となった旨の主張をする。

しかしながら、団体の成立の通常の形態は、その団体を作ろうとする者(通常は発起人)がその全員の同意のもとに定款を作り、これに賛成して加入しようとする者が参加して設立総会が開かれ、従って、加入意思のある者が構成員となるものである。しかるに、本件では、定款案について検討、採択された発起人会又は理事会が開催された日からわずか一〇日足らずの間に、構成員適格者に対して公告等により広く通知がされないまま、本件総会が開催された。しかも、現実の参加者は本部関係者を含めて五〇名程度であり、他に委任状による出席として扱われている者がいるものの、これらが個人会員としての委任か或はその属する支部の会員代表としての委任かも明確ではない。(前記二、7)。もともと、当時理事会で割当てた総会の会員代表数一四〇名は、当時の九支部につき各一五名(熊本は二〇名)を割当てたにすぎないのであって、別表8のとおり各県の会員数の差があることを考えれば合理性を欠いた割当方法といわざるを得ない(同総会出席会員名簿(<証拠>)記載の九四名の会員は青森等七県支部からの参加であり、岩手、沖縄県支部の参加は当初から予定されていなかったのではないかとの疑問もある。)更に、別表8によれば、右支部のある県等の会員の口数は全体の約二割の一二万口程度にすぎないのに、これより多数を占める支部のない県等の会員は全く無視されていること、当時の各支部の会員把握率が十分でないことを内村も熟知していたはずであること、内村は会費納入や除名決議その他の具体的条項を定めていた当初の定款原案の条項を抽象化してしまったこと(前記二、6)、本件総会後にも、同総会前の入会者に対しては、同総会の決議や定款の内容について何らこれを知らせる手段も講ぜず、また、その際作成された事業報告書にも定款制定により主宰者が実質的に交替したとの説明はないこと(同二、8)などを総合すると、内村は、単に鼠講事業への批判回避及び課税対策の一環として、定款作成の外観を作ることを企図し、有力会員に会員代表の割当てをして、本件総会を開催したにすぎず、本来、内村に定款作成につき会員の総意を反映させるとの意思はなかったと推認される。従って、本件総会での前記会員代表による議決等は、団体形成意思の表現と評価するに価せず、本件定款はその作成につき重大な瑕疵があるというべきである。

もっとも、人格なき社団の生成は自然発生的である場合が多いことに照らすと、本件では、定款成立の過程に不備があったとしても、参加者九四名を中核とした社団が成立したとする控訴人の主張も一理なしとは言い難いが、社団性の有無は、結局は、その実体があるか否かに帰するから、更にすすんで内村の鼠講事業の経過等について検討する。

(三)  構成員の団体意思形成の稀薄性

控訴人は、定款上の構成員の範囲は明確であり、仮に不明確な部分があっても、それは内部的自治の問題であり、当該組織において代表者の選出方法等の主要な点が確定していれば足りる旨主張する。成程、会員資格を定めた定款七条一項は、「会の相互扶助組織である一定の講に加入した者を会員とする。」旨定めており、同八条も構成員資格を失う場合として、退会等の事由をあげるにとどまっており、また、内村は、講加入者は退会しない限り会員である旨供述し(<証拠>)、副会長であった中谷、理事であった高谷稔、加藤優もほぼ同旨の供述(<証拠>)をし、講の仕組みが満金受領までは一定の期間を要することを考慮すると、定款上は満金受領までは少なくとも会員資格を有すると解するのが自然である。

しかし、右会員資格も全く形式的なものであり、内村が真に講加入者の本会への実質的参加を予定していたものでないことは前記のとおりである。本件総会後も、議決権行使の機会も与えられずに放置された定款作成前加入の講会員を本会の構成員とみなす根拠はなく、総会後の加入者も定款七条三項の一年以内の再入会を義務付けたかにみえる規定と保養所利用期間一年との制限と併せて、加入から一年を経過すれば、会員は、それまで加入していた各講のコースによる送金を受ける権利のみを有し、会員資格を失ったものと勝手に解釈される可能性があるし、これが予め意図されていたのではないかとの疑いも強い。

実質上も、鼠講の加入者は、自己の系列下の者からの射倖的な送金を目当てに加入しており、他の加入者との共同の目的意識や団体形成意思は稀薄である(本来の講契約のうち、講員が一団となって協力して全員の事業として運営するものは組合契約類似の契約と解されるが、本件鼠講契約は、その法的構成をいかに解するにせよ、より共同の目的意識が薄い契約といわねばならない。)。もともと、社団の構成員は一定の社会的経済的目的のために結合していることを前提とし、そのことが対外的独立性を有する基礎となるが、鼠講会員は、その仕組み上、自己系列の孫会員以下の会員から送金を受けることを最大(唯一といっても過言ではない。)の目的と認識しており、他会員とは利害を同じくしている訳ではない(かえって、周囲の加入者は少ない方が会員勧誘や送金獲得が容易である。)。本会の会員として扱われることになる者は、相互にかかる顧客であるという程度の認識しか持っていない不特定多数の者らであり、前記定款七条三項もかかる曖昧な定めによって再加入させることを意図した巧妙なものと解される。

本来、構成員の範囲を論じる実益は、構成員を離れた別の人格が形成されたか否か、即ち、構成員の意思の総和として団体意思が形成されたか否かの目安となる点にあるのであって、前記のとおり鼠講契約の共同目的の稀薄性を勘案すれば、本件のような流動的で多数の者を構成員にする団体においては、その表決権や選挙権等の社団の運営等に参加する共益権が明確化されていて初めて団体性を肯認することができるものである。

しかるところ、もともと会員には、加入口数に相当の差があるのに表決権等での考慮はされていない不合理性があるうえ、会員総会が前記のとおり総会員の意思を結集する組織となっていないことは、場当り的な支部設置や恣意的な総代割当及び後記認定の支部地区大会の状況(数名でも会員が集まれば大会として成立する。)等の事実に照らして明らかであり、本会における団体意思形成の問題は、単に内部的自治の問題に留まるものではなく、右形成の基礎を欠くものとして、社団性の要件それ自体を否定的に解すべき状況にあったというべきである。

(四)  支部と会員総会の実体

会員総会が会の最高決定機関とされているのは、会員の総意が表示、反映されることによるが、本件では、各支部等の代表会員によるいわゆる総代会形式によるものであるから、総会員の意思が表示されたといえるか否かは、総代選出の母体となった支部の設置状況及びその実体と代表選出の手続の適正にかかっていることとなる。

そこで、右支部の活動等についてみると、その設置は定款二五条、支部運営規則二条、支部認可審査に関する規定により理事会の審議を経てなされ、設置にあたっては同規則二条の各要件の存否が判断されることとされ、更に下部組織として地区支部が置かれ、また、研修普及員制度の一環として連絡事務所が設置され、地区活動の中核となったが(前記二、12)、実際に支部として認可されたのは、全国の半分に満たない(同二、9、なお、同運営規則第四条には、支部は理事会の定めるところにより隣接県等を管轄する場合がある旨定められいるが、理事会が同条項により管轄支部を定めたことを認めるに足る証拠はなく、本部において適当に決定していたと推認される。)。実際の設置、廃止等の運用について、昭和四九年から同五一年度までの事業報告書(<証拠>)の全国県支部連絡事務所一覧表等を対比してみても、昭和四八会計年度事業報告書で支部として記載された長崎県支部、昭和五一会計年度の事業報告書に新たに記載された北海道支部、沖縄県支部については、本会の理事会議事録に審議及び認可に関する記載はない(もっとも、沖縄県支部について昭和四七年一月に認可されたことになっているが、同会計年度までは支部として扱われた形跡がない。)。更に、熊本、長野、長崎、北海道についてはその後の事業報告では連絡事務所に格下げされた形になっているが、前後の理事会議事録には同支部等の廃止が付議されたとの記載はない(なお、支部認可審査に関する規定七条では、支部の認可申請は毎年更新を要し、更新申請のない場合は解散したものとみなされることになっているが、各支部の更新手続がされることはなかった。)。

これらの事実に照らすと、本会での支部の設置や廃止に関しての右規定等は全く無視され、適宜、本部で処理していたものと推認するのが相当である。

他方、支部においても<証拠>によれば、各支部長は、多数口(六〇〇口加入の者もいた。)の投資をしていて、その回収として会員を勧誘する必要があるため、自ら事務所を設けて活動するに至ったこと、従って、当該支部内の会員意思を本部に伝達するとの目的意識のもとに参加、活動していたものではないこと、また、会員への伝達は新聞広告などによる支部もあったが、葉書や電話、口コミ等によりされていたもので、総会参加者の決定も、事前に各支部で議題を検討し、支部としての意見をまとめるなどしたうえでされるものではなかったことが認められる。もっとも、前記一認定のとおり、支部地区大会が多数開催されているが、<証拠>によれば、これらは、前記思想普及員研修制度の実施に伴い、講勧誘の拠点化が活発となり、同人らが実際は講の宣伝活動の目的で、代表選出や保養所設置要望等の協議に名を借りて大会を開いたもので、従って、各大会の名称も県支部がないのに「県支部大会」として開かれたり、或は総代選出の「県大会」の主宰が連絡事務所であるなど、県支部の存否に係わりなく開催されていることが認められる。右普及員は講入会金の歩合取得を目的とする、いうなれば講のセールスマン、外交員であり、本来の会員とは異なり、その連絡事務所は、会員を統括し、総代を選出すべき本来の支部或はその下部組織と同等のものとは言い難い。

支部等の実体は以上のようなものであり、単に会員勧誘の拠点とのみ評価するのが相当で、会員総意を集約し、これを支部等の運営や会員総会に反映させるだけの組織性のあるものではなく、実際の会員総会の総代代表数の決定についても、定款の規定は無視され、支部の有無に関係なく加入等の見込まれる県等を主体に決められており(前記二、10)、総代数の割当は、鼠講の宣伝と会員勧誘のために本部主導のもとに決定されていたとしか評価できないのであって、このような支部等の総代の参加によって、多数決の原則を前提とした会員総会による団体意思の形成は望むべくもなく、同総会での意思形成は形骸にすぎなかったというのが相当である。

控訴人は、この点につき、会員総会出席の支部代表数は、理事会が講の活動状況を加味して決定することで十分であると反論するが、本件定款によれば、会員は支部等を通じてその団体が有するとされる議決権、役員選挙権等を行使できるのであって、その代表数の決定自体が恣意的で合理性を欠いているのであるから、多数決の原則が全うされていないと評価されるのは当然である。

(五)  理事会による業務運営状況

更に、内村個人を離れた理事会等が独自にその業務運営をしていたか否かにつき検討するに、昭和四七年五月二〇日以降は、定款二五条で理事会での付議事項が決められたことになり、ほぼ定期的に理事会が開かれ、見舞金の査定、保養所購入等も一応審議されていることは前記認定のとおりである。

(1)  しかし、内村は終身の会長であり(定款二〇条)、これを更迭できず、かつ、三分の一の理事は会長指名であり、会の資産は会長である内村が管理することとされ(同一〇条)、定款上も絶対的権限を有しており、文伴、中谷以外は非常勤で、他の理事や監事等がこれを抑制できる状況にはなく、理事会の決議なくして重要事項が決められ、内村が実際には右査定や購入等をしていたこと、大観宮への基本財産の譲渡という重要事項についても同様であったことは前記二認定のとおりである。太子講の実施等(前記二、14)は、本来ならば本会の講事業とその収支にかかわる主要な問題である。従って、一旦は理事会でそれらを本会で実施すると議決されたのにもかかわらず、その直後に大観宮を主宰者として実施されている。これらは、一連の講事業の開始と廃止についても内村が個人で決定し理事会にはその決定や実行の実質上の権限はなかったことの証左である。

控訴人は、右大観宮への財産移転について理事会への付議がないとしても最高機関である臨時会員総会での可決により瑕疵が治癒された趣旨の主張をするが、かかる重要事項を定款の手続を無視して行うこと自体機関無視の行動であるし、会員総会の議決は適正な手続のもとにされて初めて評価に価するのであり、仮に支部代表による可決が存在するとしても、代表選出前に右財産の移転が総会の審議事項として各支部の会員に通知されておらず、突如総会で提案されたというのであるから、到底会員の意思を徴したとはいえないし、前記経緯のもとにされた同総会の決議は、手続上に重大な瑕疵があり、到底会員の総意とは評価できないものである(同移転の経過は本会が内村個人であることを如実に示しているといえる。)。

(2)  また、会長報酬等についてみると、<証拠>によれば、昭和四九年三月一二日の理事会において役員の期末報酬、会長、副会長の報酬引き上げに関する最終決定を会長と広瀬税理士に一任することとなったことが認められる。しかるところ、内村の会長報酬は<証拠>によれば、昭和四七年一月は五〇万円であったものが、ほぼ一年に一回の割合で引き上げられ、昭和五一年一月分以降は実に月額で一〇〇〇万円(文伴は五〇〇万円)もの高額となったことが認められ、かつ、この前後の理事会議事録等(<証拠>)によっても、これら引き上げにつき何ら報告さえされた形跡がないことが明らかである。<証拠>によれば、理事である高谷さえも内村の会長報酬は勿論、各財団のことは殆ど把握していなかったことが認められ、同理事会の付議も適当にされ、その議事録も単に形式的に記帳がされていたことが窺われる。

(3)  保養所等の購入については、理事会の事前の了承を得ていたものや、保養所新設として包括的予算が組まれていたものもあるが、内村は理事会で決められた九段ビル購入を独断で取り止め、改めて財団法人天下一家の会の名義で購入したほか、九段マンションの購入も事後報告ですませ(前記二、13)、<証拠>によれば、昭和四九年七月五日の東京都杉並区今川二丁目所在のモリシタ産業からの土地建物の購入(代金四八〇〇万円)、昭和五〇年八月一二日付の芦ノ湖特別研修保養所の購入(代金三億八〇〇〇万円)、昭和五一年一一月一九日の宮崎研修保養所の購入(代金五億五〇〇〇万円)なども、いずれも理事会に事後報告したに過ぎないことが認められる。また、右昭和四七年五月二〇日以降に購入の保養所等は理事会で基本財産繰入の決議をしていないが、昭和五〇年度事業概要(<証拠))では基本財産として記載されている。

以上のように内村の理事会無視の行動は枚挙にいとまがなく、理事会は名のみであり、その真に重要な業務決定に関与することなく、内村個人から独立した社団の業務決定機関として機能しておらず、また、他の理事らも、その資格において、これら業務に関与する余地がなかったというほかはない。

(六)  経理及び財産管理等

経理面の運営、処理状況についてみるに、

(1)  たしかに、本会には、会独自の経理規程等が設けられ(前記一)、また、収支計算書、本部経費帳、資産元帳、損益元帳(<証拠>)では、一応、昭和四七年五月二〇日から新規に会独自の諸帳簿が備えられ或は新たに記載が開始されてはいる。

(2)  しかしながら、本件総会をもって人格なき社団が成立したとすれば、同社団は内村から譲渡された個人資産等をその基本財産としたのであるから、まず第一に、内村個人の資産や負債等のうちのいずれが引き継がれたのかが客観的に明確にされなければならず、殊に、前記のとおり、定款上本会の資産は全て会長である内村が管理する旨定められているから、個人資産との区別をより明確にして社団を出発させるべきところ、<証拠>によれば、一部基本財産として引き継ぎ、記帳されたものを除けば、これらを明らかにする財産目録、貸借対照表の作成がなく、右資産等の引継関係が不明確であることが認められる。第二に、同社団たる本会の成立年度の収支決算は、同成立日から同会計年度末日をもってされるべきであり(定款二八条)、またそれが当然であるのに、本会の同期の決算報告書は、査察以後の昭和四六年七月一日から昭和四八年三月三一日までの間として処理されており(前記二、8)、社団として別人格が成立したとするには、その経理処理は極めて理解し難いところである。

(3)  次に、別個の人格として社団が成立したのであるならば、その経費も内村個人分の費用との区別がされている必要があるところ、内村個人の訴訟費用や納税分との区別は何らされておらず、また、本件更正分も同様で、本会の帳簿上「仮払税金」等により、本会から納付された経理処理がなされ(同二、13、16)、加えて、<証拠>によれば、前記の昭和四八年の内村の所得税法違反事件の刑事裁判費用報酬(弁護士や広瀬税理士宛)は本会の仕訳伝票にそのまま記載されていること、内村が鼠講事業に関し、加入者から訴えられ、結局支払を約した和解金三〇〇万円(静岡地方裁判所昭和四六年(ワ)第三九九号見舞金請求事件)も本会から支払われていることが認められ、内村個人と本会との混同が明らかで、その間の区別はされていなかったものと推認せざるをえない。また、大観宮との関係においても、同宮への資産の譲渡後の昭和五三年一月から三月までの間の本会の総括収支計算書(<証拠>)では、右譲渡したはずの研修保養所宿泊保養所等からの収入として三二九四万円余及び同研修保養所の支出経費として一億円余が、同計算書に計上されていることが認められ、本会と大観宮との間においても、資産や経理の混同があって、その間の経理上の区別がされていないことが窺われる。

(4)  また、<証拠>によれば、内村の給与所得及び雑所得にかかる昭和五二年度分所得税の確定申告書(還付申告書)を控訴人に提出し、控訴人は、同年三月、右確定申告にかかる還付金八〇〇万円余を、内村未納の昭和四七年度分所得税に充当した旨の充当通知書を同人に送付したが、本会では、同年三月三一日、この充当金額に相当する金額を同人に対する貸付金から減額して仮払税金に振替えたこと、また、内村は、昭和五四年三月二日、内村の給与所得にかかる昭和五三年度所得税の確定申告書(還付申告書)を控訴人に提出し、同年四月三日、控訴人は、右確定申告にかかる還付金二七四万円余を同年三月二四日付で同人未納の昭和四七年度分所得税に充当した旨の還付充当通知書を内村に送付したところ、本会では同年四月二八日、この充当金額に相当する金額を内村に現金で支払ったことが認められるほか、前掲各証拠によれば、本会の会計帳簿には、かかる混同の事例は枚挙にいとまがなく、本会が内村個人と別人格であるとすれば右のような帳簿、会計処理はありえないはずであり、これらの資産等の著しい混同は、内村個人を離れて別個に本会なる社団が存在しなかったことを推認するに十分である。

(5)  更に、内村は、前記二、4のとおり、相研ビルに居住しており、他に財産はないこととされている。<証拠>によれば、同ビルの賃料は内村において支払いをしていないし、文伴、講男の賃料は昭和四八年二月に至って初めて同四七年六月から同四八年二月分(文伴の分)、同四七年一〇月から同四八年二月分(講男分)が一括支払いされており、それまでは放置されていたことが窺える。

以上に照らし、資産、経理面から本会の社団性、独立性を考慮するに、まず、その出発点たる本件総会前後において、内村個人の資産との峻別がなされず、その後もこれを行った形跡はないうえ、会計処理も同総会即ち社団が成立したと主張する時点をもって峻別処理されていないこと(右(2) )、前記四にみた形骸的な理事会の存在と内村の重要事項の独断的処理及び内村及びその家族らのみによる経理関係の専断的処理と相まって、内村個人と本会との資産や経理の著しい混同の事実(右(3) ないし(5) )からすると、資産、経理関係において、内村個人と峻別された独自の資産を有し、経理処理されるなど、社団としての基本的実態を有していたものとは到底考え難いところである。

(七)  社団性の欠如について

以上を総合して検討するに、本会の創設は、内村において1に既述のとおりの違法性、反社会性の高い鼠講事業を進めるうえで、その本質を糊塗し、多額に及ぶ課税対策を主目的とし、人格なき社団の形態を利用する意図のもとに検討のうえされたのであるから、本会は、一応、定款等団体の基本的組織を定める規約や、財産管理等の規約等を有し、これにより団体意思の決定機関とその機能、業務執行や対外的代表機関等を明確に定めており、その団体意思形成方法をも一応多数決原則によることとするなど、社団としての一応の外形を有し、その着衣をまとっていることは否定し難い。

しかしながら、個人を離れて社団が実在するものとして法律的、社会的、経済的に認識されるには、個人の意思と離れた別個独立の団体意思の存在が客観的に認識され、その事業活動等に要する団体固有の資産が個人と峻別されて存在することが、最低限不可欠のことであると思われる。

本件においては、内村は、本来自己の個人事業に対するその反社会性の隠蔽、世論対策、特に課税対策を主目的として本会の設立を意図したものである。従って、定款等によって、社団としての基礎的組織を具備し、団体意思形成の機関、方法を外形的には定めているものの、内村としては、右の意図に従って組織するものであるから、自己の意のままに本会の意思を形成し、組織を動かす腹心算で右定款等の作成、準備にかかったし、前記認定、判断のとおり、現実の運営も、まさにその意のとおりに行ってきたものである。殊に、会員総会での会員意思の決定の方法や運用の杜撰さ、出席会員の選出のいい加減さ、内村の同総会や理事会の軽視、無視の各行動、さらには、会員らの会への積極的参加の意図は本来殆どなく、彼らは、講加入とこれによる経済的利益追及が主目的で、これに付随して会に参加しているに止まるものであり、本会の趣旨、目的に殆ど関心はなく、本会の団体構成員たる認識や会員相互の横の連絡も極めて稀薄であり、団体意思形成やそれへの参加意識も殆どないに等しく、内村を除き、本会の中核的存在となる会員は全く存在しないに等しい実情にあること、従って、社団としての不可欠の要素である対等の複数構成員の実質的存在を発見し難いこと等に照らすとき、そこに内村個人と離れた人の集まりといえる一個独立の社団が形成され、実在したものとは到底解し難く、本会は内村個人の隠蓑、替え玉ないしは別称というべきものと解される。

仮に、右のことは、単に社団運営の内部的問題とする議論もあろう。しかしながら、本件における事業運営、資産、経理の混同及び非峻別性は、議論を否定するに補って余りあるといいうる。即ち、前認定、判断のとおり、自然発生的なものではない本会の成立(社団の発生)時点において、内村個人の資産と本会のそれとの区別は、一部が本会の基本的財産として繰入れられ、台帳に記入されているものの、総体的に不明確であることは、(六)、(2) に述べたとおりである。しかも、本会発足年度における会計処理上別個独立の社団が成立したのならば、同会発足時点をもって当然本会の同会計年度の始期として、内村個人の会計処理と峻別すべきこと、右時点ではなんらの区別もせず、内村個人の時代から右発足時以降の時点までを一会計年度として処理しているのであり、このことは内村個人の内部的認識に止まらず、控訴人ら部外者においても、本会の実態を十分認識し得た事情である。加えて、本会発足後にも、本会の資産等の管理は内村個人の専権に属し、基本財産や主要資産の得喪についても、形式的には理事会に付議したこともあるが、内村は、意に従わねば、これらの議決を全く無視し、時には付議することもなく、独断的に処理し、また自己の経費と本会のそれとを峻別せず、固有の経費を本会のそれとして処理してきた事例が枚挙にいとまがないことも前述のとおりである。事業運営をみても、本会は公益性を唱え、福祉活動を標榜してはいるものの、その発足前後をとおして、主たる事業が従前同様の仕組みである講と変わりはなく、しかも、内村はわざわざ本会理事会に付議して発足させるものとした新たな講を勝手に大観宮の講として発足させるなど、講事業を個人固有の事業と認識してきたものである。このように、本会の資産等は内村個人のものと全く同視しうるもので、その事業運営、資産や会計処理等において、内村個人と本会との峻別、独立性は殆どなく、本会が社団としての基本的実態を有していたとするのは相当でない。

ところで、本会が、たとえ課税対策を主目的として創設されたとしても、公益法人や営利法人など実体法上法人格あるものとして公認され、法人格を付与される社団等の形態を選択し、かかる社団として法定の手続を履践し、成立したものであれば、少々その実体が控訴人も言及するような一人団体的なもので、ワンマン経営的組織運営がなされ、代表者に資産の混同があったとしても、その外形を重視して一個の法人としての社団性を肯認することは比較的容易であろう。しかし、内村は、敢えて本会を人格なき社団として成立させることを意図し、検討し、実行してきたものである。従って、本会が人格なき社団としての外形や要件を一応具備していることはある程度否定し難いものの、優れて民事実体法上の人格なき社団該当性が問題とされる事案であるから、本件においては、その実態に立ち入ってその社団性を判断することはやむをえないし、回避し難いことである。従って、控訴人ら主張のようにある程度形骸化した社団は社会一般に多く実在することを根拠として、本件事案にこれを類推すべきことにはならない。

以上の諸点を総合し、右視点を考慮して検討するとき、本会は、内村において、社会的非難を回避してその事業を将来も維持し、継続し、かつ、自己の課税対策等の意図のもとに、実態は個人事業であるのにこれを仮装し、人格なき社団という形式に名を借りた同体異名のものであると断ずるのが相当である。

四  信義則違反等の主張について

控訴人は、本件請求は信義則等に反して許されない旨の主張をするので、以下に判断する。

1  次の事実は当裁判所に顕著である。

内村は、昭和五三年四月六日、本訴を提起したが、同じ訴状で本会を原告(代表者内村名義)として、同じ本件資産の譲受け(受贈)を対象とする贈与税課税の更正の取消を求める訴を併せて提起しており(なお、本会に対する昭和四七ないし同四九事業年度の法人税課税についても争い、訴えを提起し、併合審理されている。)、その請求の原因としては、昭和四七年五月二〇日以前から救け合い運動の主宰者は人格なき社団である本会であるから、資産の譲渡があったとはいえず、本件所得税及び本会の右贈与税の課税原因がなく、従って、同更正等は取消されるべき旨を主張していた。

また、内村は、控訴人が内村に対する昭和四三ないし四五年度分の所得税を保全するために昭和四六年六月一一日付でした旧福田ビルヘの差押えの効力を争い、本会代表者内村名義をもって、昭和四六年一二月三〇日付で同ビルが本会の所有であることの確認及び右控訴人のした差押登記(熊本地方法務局同日受付第二五四〇〇号)の抹消登記手続請求の訴えを提起し、同訴訟においても同様に、昭和四二年三月に本会が社団性のある団体として創立され、内村はその代表者であり、同ビルは会員の総有であると主張し、現に訴訟中である。

しかるに、その後の内村の破産に伴い、被控訴人が昭和五五年三月一〇日付で本件訴訟手続受継の申立をするや、被控訴人は、鼠講の事業主体は創始当時から内村個人であり、昭和四七年五月二〇日前後で何ら変わりがないとし、内村が従前から主張してきた本会の社団性を否定する主張をして、本件更正の取消を求めるに至った。

2  右のとおり、内村は、破産による訴訟承継前は、昭和四七年五月二〇日前後を問わず、本会は一貫して人格なき社団である旨主張していたうえ、特に、前記のとおり、内村は右主張に沿って自ら人格なき社団の体裁を整えるために定款等を作成し、その旨を控訴人に申述して法人税課税を申告し、みなし法人としての取扱いを求めた結果、これが認められ、法人税の恩典を受けるに至ったものである(一般的には法人化して法人税法による課税を選択する方が節税となることは明らかである。)。しかるに、承継後の被控訴人らの主張は、破産者内村において自ら人格なき社団の外形を作り出し、運用を図ってきたのを全く否定しようとするものであるし、課税制度の観点からも、申告課税制度が自らの課税の方法を選択させ、もって、優遇措置を与えて課税の適正を図るとの趣旨のものであるのに、同破産者が選択してきた課税方法をその承継人において覆し、個人としての課税も余儀ない状況に至らせようとするものである。そうして、信義則ないし禁反言の法理は、あらゆる分野における法に内在する条理の表現であり、租税法の分野においてのみこれを否定する根拠は見い出し難く、また、いわゆる法人格否認の法理は、団体の外形を信じて取引を開始した債権者保護をその理念とするものであるが、自らその外形を作り出した者がこれを否認することは許さないとの信義則等と同じ条理を当然に内包したものである。

これらの各法理の趣旨等に照らすと、外形的に一応の社団形態を揃えてなされた内村の申告を採用した課税庁の保護も一考に価し、直ちに本件更正の取消を認めるに躊躇するものがないわけではない。

3  しかしながら、課税制度においては、租税法は実質課税の原則、即ち実質上の所得の帰属主体に課税し、もって課税の公平を図るという強い支配原理を有するものであるから、信義則等の適用にあたっても、法の定める租税法律主義のもとにおける納税者間の公平、平等との要請を十分尊重、重視すべきであり、これらを犠牲にしてもなお、申告制度に伴って課税対象主体がなした申告、申述等を信頼した課税庁を保護するのを相当とする程度の特段の事情が存する場合に初めて、その適用が論じられるべきものである。

しかるところ、本件においては、内村の大観宮や財団法人天下一家の会への財産の移転等の経緯を全体的に考察すれば、内村にこそ実質上の所得があったと認められ、しかも、内村において違法な講事業をいわば隠蔽、糊塗する目的で人格なき社団の形態を作り出したもので、本会に人格なき社団性を肯定して本件譲渡を是認することは、実体に反するのみならず、課税関係においては結果として内村の不正な意図に手を貸すことになり、ひいては、租税法律主義、実質課税の原則の立場から厳格にされるべきもので、そのために課税庁が刑罰権に裏打ちされた質問検査権を伴う調査権を有しているとの法の趣旨に反する結果となり、かえって不公平な課税を許容することとなる。

4  また、被控訴人は、内村の単なる一般承継人ではなく、破産管財人であり、本質的には破産債権者の利益保護等のため破産財団形成に有利な手続を選択し、主張をすることができると解されねばならない。もとより、破産管財人は、必ずしも一般の破産債権者の利益保護のみのために行動するのではなく、租税債権も財団債権としてその受益に預かるはずのものであり、滞納税等があって、結局は一般債権者に配当ができない結果となる場合でも、なお、詐害性のある譲渡行為等はこれを否認するなどして破産財団の形成に努めるとの公益的立場も有しているものである。従って、破産者につき、どのような課税関係を選択、主張するかは、この訴訟を承継した破産管財人が、前示職責上、破産者の従前の主張にかかわりなく、独自の総合的判断に基づき、これを決すべきものであるから、当該訴訟において、破産管財人が破産者と別個固有の攻撃防御方法を提出することも、許容されるのは当然である。本件においても、被控訴人は、破産管財人として、本件訴訟承継後、本件更正の否定のみならず、その基礎となる本会の社団性を否定するという一貫した立場から、これに関連した大観宮や財団法人天下一家の会への不動産返還等の訴訟をも提起しており、単に課税関係においてのみ便宜社団否認をしているものではない。

5  従って、被控訴人が控訴人に対して、従来の破産者内村の社団的主張を一変して、これを否定する主張をするに至ったとしても、前述の破産管財人としての職責上当然選択すべき法的主張であり、しかも実質課税の原則にも適うものというべく、それでもなお右主張を排斥するのを公平とする特段の事情も見当たらない本件において、控訴人の信義則違反の主張はこれを採用することができない(なお、法人格否認の法理に関して付言するならば、同法理は、本来法人格を具備した社団等に関するものであって、本件の如き法人格のない団体にまで類推拡張すべきではないと考える。)。

五  よって、原判決は結論において相当であり、本件控訴は理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高石博良 裁判官 牧弘二 裁判官 川本隆は転補につき署名押印できない。裁判長裁判官 高石博良)

別紙<省略>

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